2007年10月

2007年10月30日

リモネン ピネン シネオール

リモネン ワークスK氏のBBSでリモネンの話が出ている。書き込もうと思った途端に矢継ぎ早に投稿されてしまい、出る幕がなさそうな雰囲気である。最近はインターネットの検索機能を有効利用すれば、いくらでも記事が見つかる。しかし、正しい記事はあまりない。

 リモネンは柑橘類の皮から取り出されるモノテルペン類の一つである。取り出し方は簡単で、ジュースを絞ったあとの皮を、水蒸気蒸留という簡単な方法で処理して得られる。高校生レベルの実験であり、本来は安いものである。

 30年ほど前、ニューヨークの地下鉄の落書きを落とすのに使われ始めたのが、溶剤として最初の用途であった。それ以来、筆者は少々興味を持って眺めていた。

 70年代のアメリカでは、食品スーパの一角に、フレッシュのオレンジ・ジュース・マシンがよく置いてあった。内部が透けて見える機械で、投入されたオレンジが2つ割りにされ、ぎゅっと押しつぶされた。ジュースはタンクに溜まり、適当な容器に入れて買うようになっていた。溜まっているのは買いたくないので、タンクが空の時しか買わなかった。家に帰ると容器の上の方に何か浮かんでいた。発泡ポリスチレンのコップに入れて飲んだあと、コップの内側を覗くと、液面の部分が僅かに溶けて凹んでいた。ポリスチレンを多少溶かす能力があるのだろうくらいしか考えなかった。だから、ガラスのコップで飲むようにしていた。 

 さて、日本のスーパマーケットの食品売り場で、刺身、揚げ物などに添え物のレモン切り身を入れて、トレィにラップして売っている。そのレモンの皮に当たっているトレィが少し凹んでいるのが分かる。明らかに溶けている。

 最近のテレビで放映された「ゴム風船にみかんの皮の汁を付けると割れる」というのも、このリモネンのせいだ。ゴムの成分のイソプレンはリモネンと近いと言うより、親みたいなものである。イソプレン2分子をうまくつなぐと、リモネンになる。
"Like disolves like."「似たものは似たものを溶かす。」というのは化学の基本法則の一つであり、当然の結果である。
 

2007年10月28日

キットは買ったが……

Big John by LVM この貨車はスクラッチビルドになるのだろうか。

 これは30年くらい前に手に入れたLVMのキットで、Lykens Valley Modelsは当時としては最先端の貨車を次々とリリースしていた。全部で20輌くらいは買っただろう。この手のキットは割り箸キットとも呼ばれる Craftsman Kit で、図面と素材が入っている。主要な部材は所定の寸法に切ってあることもある。 

 箱を開けてみると、木材の質はあまり感心しない。松系の材で脂が多く、また、直角が出ていないものもあった。躯体を作るブロックが直角でないと、車体全体がゆがむ。それは捨てて、よく乾燥した材から、直角が出るスライド丸鋸でブロックを切り出した。サイドは航空ベニアがあったので、それを使った。エポキシ樹脂で固めて目止めし、念入りに研ぎ上げた。買い置きの角材で補強部材をつくり、アングルはブラスで作って置き換えた。添付の角材は寸法が怪しく、端のほうは妙に細かったりしたので捨てた。下廻りは新製である。

 さてこれは、キットを組んだのか、それともスクラッチ・ビルドになるのか。自分でも分からぬ。キットの中で使ったのは図面とハッチの鋳物だけである。

 2輌作ったが、一輌は作り方を変えた。下地塗料のまま、ここ10年昼寝している。写真の左奥にある茶色の車輌である。そろそろ完成させねばならない。イナ@ペン氏のブログに最近の写真が紹介されているので、それを参考に最大限のウェザリングに挑戦してみようかとも思っている。

2007年10月26日

中古品を改造する

 完成品を格安で手に入れたとする。あちこち凹み、部品が外れている。欠落した部品もある。だからこそ格安なのである。

 このようなものを再生するのは面白い。あるいは思い切って、全く別の機種にしてしまうことも可能だ。

 10年ほど前、「パシフィックの上廻りとテンダを買ってくれないか」と友人から頼まれた。安く買い取って、図面集を眺めていると、同系列のミカドになりそうだ。スケッチを描いて、どこを切り取って何を作ればよいかは、すぐに方針が決まった。ハンダ付けを外し、新しいボイラを作って取り付けた。アメリカ型独特のボイラはなかなか設計が難しい。結局キャブは原型、煙室戸は修正して流用。煙突は新製。

 下廻りは、ジャンク箱から引っ張り出したミカドのそれがある。それを元にフレームを作り直せばよい。従台車はイコライザが正しく動くように、新製しなければならない。先台車の復元は十分に効かせる。全質量の70%は新製だ。

 この調子でやれば、一台完成してしまう。それを人に見せる時、由来を明かせば多分「完成品の改造」の範疇に入れられてしまうのだろう。元の形を見ればどれぐらい違うかは分かるのだが、それを望むのは無理と言うものだ。由来は伏せておこう。元の持ち主に途中経過を見せてやったところ、"Unbeliebable"と言っていた。

 おそらく、「出来合いの下廻りに、自作の上廻りを載せたもの」が、見かけ上のスクラッチ・ビルドとして通用しやすいものである。要するに上廻りの見かけの問題なのである。このパシフィックの元の持ち主も、それを考えて上廻りをとったのだろう。テンダなど、アメリカ人は全く評価しない人が大半だ。付いていればよい。

 筆者のミカドはスケールスピードで走り、超低速でもけつまづかない。そこを強調したい。

2007年10月24日

続々 Scratch Building

 筆者の代表作はFEF-2,3ということになっているらしい。本当はまだあるのだが。この作品を雑誌に載せたとき、いろいろな雑音が聞こえてきた。

 「自分で作ったものでもないのに、よく投稿するよ。」「完成品に手を入れただけだよ。」など、いろいろあった。

 筆者にとっては、外見などどうでも良かった。問題は中身である。それまで日本はおろか、世界中のどこにも、鉄道模型の効率を極限まで上げることに血道を上げる人は無かった。

 高効率モータ、新方式のギヤ、ボールベアリング、特殊な潤滑剤の組み合わせを用いて、全効率を60%台に載せたのだ。それ以前の機関車には、効率が13%を超えるものなど、どこにも無かった。なおかつスケールスピードで走ることを目的としている。

 二台の機関車が、片方を押せばその発電した電力で他方が走る事など、絶対にありえなかったのである。それを搭載する機種として、たまたま、これらの機関車を選んだだけであった。煙突、パイロット、火室廻り、キャブ内外にかなりのディーテイル工作はしてあるキャブは外して内部を作り、また元に戻した。しかもドアをつけて密閉したので中身は見えない。

 この機関車は祖父江欣平氏の製品で、バランスが良い。下回りは根本的に改造して、走行性能が飛躍的に向上している。先従台車の復元装置は考えられる限り、最高の性能が発揮される構造にした。曲線から直線に入った瞬間の立ち上がりがとてもよく、満足している。 直線区間を、斜めになって走る機関車がたまにあるのだ。

 この機関車を評価してくれたのは、著名人では合葉博治氏だけであった。氏は、筆者の言う「スクラッチ偏重主義からの脱却」に大きく頷き、新しい鉄道模型への飛躍に向けて滑走を始められた途端に、病魔に冒された。氏がもう少しの間でもお元気であられたら、世の中はずいぶん変わっていただろうと思う。

2007年10月22日

続 Scratch Building

 先日、関西合運に出かけた際、何人かにこういう質問を受けた。

 「dda40xさん、たまには素晴らしいフル・スクラッチの作品を見せてくださいな。」
…………「あまり時間がなくて、気楽な工作の方に時間を振り向けているのですよ。」

 「どうしてスクラッチ工作を手がけないのですか。あなたの腕と知識を以ってすれば、いくらでも素晴らしいものが出来るでしょう。」…………「私なりのスクラッチ・ビルディングは、しているのですけどね。」

 どうやら、皆さんはフル・スクラッチ工作をする人をモデラと定義しているらしい。筆者は、完成品の大改造品しか持っていかないので、やや不審の念を抱かせているようだ。

 筆者は工作を目的として鉄道模型を楽しんでいるわけではない。レイアウトの上を、スケールスピードでスケールの長さの列車が、つまづかずに走り、慣性力ある動きをするのを見たいのだ。そのための工作なら労力を注ぎ込むのをいとわない。全体を作るほどの時間はない。

 筆者の欲しい車輌は、すでにほとんど製品化されている。その製品の中では、十分な正確さを持っている部分が、多分、90%以上を占めている。不十分な部分は直すことが出来る。下回りや動力機構は100%不十分なので自社規格に取り替える。そうすれば、それは世界中どこにもないオリジナル作品となる。

 時間は節約でき、模型界に多少のお金が流れ、業界は活性化する。もっとも、日本の模型屋のショウ・ウィンドウに並んでいる高価な商品は一度も買ったことがない。アメリカのブローカカスタムビルダから、経済的に購入している。

 故植松宏嘉氏も同じようなことを仰っていた。「下手なスクラッチより、完成品」 
 この言葉の解釈にはいろいろな方法があるが、彼なりの、スクラッチ偏重主義への苦言であった。

2007年10月20日

Scratch Building

Scratch Building 定義はこのようなものらしい。この辞書がどの程度正しいのかはよくわからないが。  
– Making a model from raw materials and parts, and not using kits.−
 要するに模型を作るに当たって、キットをもとにせず、素材から作ることである。

 1940年代のNMRAの会報を見ると、スクラッチ・ビルディングの定義として、使っても良い市販品は、「電球、歯車、ネジ」とあった。その後50年代になると「モータ」と「台車」という言葉が出てきて、TMSには「アメリカでは台車が素材パーツとして流通している。」というようなことが、驚嘆をこめて書かれていたのを、読んだ記憶がある。

 その後、時は流れて、現代では使ってもよいものはずいぶん増えてきた。モータを自作する人はまれである。伊藤剛氏の瀬戸市電くらいのものだ。

 電球を自作することはさすがに出来ないが、歯車は、CNC工作機を持てば容易に出来るらしい。しかし買ったほうが格段に安い。
 
 問題はここである。ものがない時代は作らねばならなかった。時間と腕がある人は作ったであろう。現代では、自分で作った物より精度が高く、高性能な部品はいくらでもある。しかも安い。そうなると、スクラッチ・ビルディングの定義は大幅に変わるべきである。最近は、ロストワックスの部品を付けた作品が正々堂々とスクラッチ・ビルドとして紹介されているが、それにケチがついたという話は聞かない。

 1970年代から、MRに載り始めた言葉で、Kit-Bashing, Brass-Bashingというのがある。要するに、完成品を切り接いで、誰も作っていないものを作り出すことである。

 筆者は、その瞬間からキットも素材の範疇に入れるべきであるという気持ちが強くなった。スクラッチ・ビルディングの定義は進化してきたし、進化すべきなのだ。

2007年10月18日

続 "Yard"誌より 絶縁法のアイデア

絶縁法 これは外国誌の記事紹介である。1950年5月号である。伊藤剛氏は英語、独語、仏語他何ヶ国語かがおできになるので、ありとあらゆる雑誌記事を紹介されている。

 伊藤剛氏は日本車輌の設計課にお勤めであった。上司が小坂狷二氏であり、その影響で語学が達者になられたそうである。

  小坂狷二氏は鉄道省から日車技師長になられた方で、伊藤剛氏の入社試験の面接官であったと言う。大変な博識の方で、小坂氏の書かれた教科書、著書の重要術語には必ず英独仏語と共に露語かエスペラント対訳がついていた。代表的な著作に客貨車工学(1948年刊)がある。

 ここでMonarch社の事が出てくる。あの連結器の会社のことである。他にVarneyとかMantureという名が出てくる。マンチュアの方法は秀逸なアイデアである。

 
  

2007年10月16日

"Yard"誌より 絶縁法のアイデア

動輪固定法 昔の三線式の車輪を絶縁して二線式に改造するのは大変な作業であったようだ。当時の"Yard"誌を読むと、そのあたりの工夫がそこかしこに出てくる。

 加藤氏というのは加藤清氏である。TMSのコンテストでこのC58が入賞された。栗生氏ご紹介の記事中のくさびもこの記事が原点である。これは1949年11月号に掲載された。

 JOゲージと言う名称が、いかにも古めかしい。いつ頃からOJになったのかが知りたいものだ。

 ここには出ていないが、Lobaughの90度位相の固定はVarneyの方法に近い。D型の穴とキィ(これまたD型キィ)で留める。まさに精密機械の組立てをしているようである。  
 末近氏の談話も紹介されている。日本製の模型を一日中走らせるとギヤが丸坊主になるが、ロボーの機関車は、2週間連続運転をしてもびくともしなかったそうである。モータもギヤも軸も、全て格段の違いがあったという。


2007年10月14日

伊藤剛氏のSnow White

 最近、話題の1/24 C62の車輪をどうやって絶縁するかというスレッドに栗生弘太郎氏が伊藤剛氏のSnow Whiteの記事を紹介されている。

糸鋸 竹釘 絶縁法実を言うと、このアイデアは伊藤剛氏自身のアイデアではない。丹羽十郎氏の発案である。

 "Yard"誌の1949年5月号である。丹羽氏もまた日本車輌の技師であり、材料学の泰斗である。先日の連結器を作られた方である。

 20年ほど前、筆者もこのアイデアに従い、いくつか絶縁車輪を作ったことがある。まさに栗生氏が紹介されている方法で、である。それ程難しいとは思わなかった。良く切れるバローべの糸鋸さえあれば、訳なく出来る。樹脂製のネジは十分な精度でタイヤを保持する。エポキシ樹脂は多少肉やせするから、二回に分けて塗りこんだ。隙間の切り粉を良く洗い出さないと失敗する。実は一つショートしたので、バッテリーにつないでショートさせてみたところ、その金属片が燃えてショートは直った。いまなら、洗浄スプレイで一瞬で洗えるであろう。

 鉛蓄電池は内部抵抗が小さいので、このような用途には便利に使える。一瞬ではあるが数十アンペア流れるはずである。

 最近、バローべの糸鋸を売っている店がなくなってしまったので困っている。取って置きの2ダースがなくなるともうおしまいである。


2007年10月12日

さまざまな特許

 特許を取れるはずがないものが、特許となっている。このアイデアはどうだろう。

 既に実現している人は多い。伊藤剛氏の模型などほとんどこの方式である。
車輌がカーヴに差し掛かると、邪魔なステップ類が跳ね上げられる記事はTMSなどを探せばいくらでもある。大きなものではEF58のエアタンクが跳ね上げられるのもあったような気がする。出願日が最近なので、下手をすると迷惑を被るメーカも出てくるだろう。早目に抗告を出すべきだ。 

 これもどこかで見たようなアイデアである。関節型機関車の前部台車にスリップを起こさせる方法である。差動装置や2個モータ方式にすれば何の問題もないが、簡単にやろうと思えば、これを使う人も多いだろう。この出願者の名前には、記憶がある。

 同一人物であれば、以前大阪に住んでいた男のような気がする。30年ほど前に会った。カナダ国籍だったように思う。

 この伝導方式は天賞堂の方式と似ているが異なる。このようなものでも特許になっているのは不思議だ。

 この方式は、ギヤの数が多くて効率の良さそうでない方法である。

2007年10月10日

Google Patent

 この1年くらいのことだと思うが、Googleがアメリカの特許を閲覧させるサーヴィスを始めた。これはとても面白い。

 時間があると、鉄道関係の特許を丹念に調べている。まさかと思うようなことまで特許になっていたり、当然特許だろうと思われることが特許公報に載っていないこともある。

 我々の趣味は、アイデアが勝負である。うまい工夫があれば、見かけもよくなり、効率も上がる。材料も時間も節約できる。しかも出来たものが大変高性能で、付加価値が上がる。

 鉄道模型関係に絞ってみても興味深い特許がたくさんある。Kadeeはたくさんの特許を保有している。最近はDCC関連の自動開放装置まで範囲を広げている。

 筆者は伝導装置にはとても興味があるので、熱心に調べている。このアイデアには驚いた。

 井上豊氏から勧められた方法で、試作もしている。これが特許になっている。イギリス人の発案ということになっている。既に期限切れだから問題はないが、知らずに作って利益を上げると、面倒なことになっていたかもしれない。
 
 Rivarossiの関節機の伝導方式も特許になっている。


2007年10月08日

続 Baker型連結器

 特許を調べているうちに、ベーカー型カプラの原型や改良型が、ずいぶんたくさんあるのに気が付いた。

 押し当てて自動連結する、というのは基本である。ただ、フックが掛かるフープが大きいと、外見が良くない。これを小さくするとどうなるか。当然、フックが掛かる確率が小さくなる。

 この特許USP2594444はフープを小さくしている。フックが他所に行かないように簡単なガイドをつけている。これだけで見かけはずいぶん良くなる。残念ながら、この特許によって生産された製品を見たことがない。

日本ではベーカー型というのは標準カプラーであったが、アメリカではその名がほとんど消えてしまった。1960年代のModel Railroaderの記事に、日本の紹介記事があり、「日本では"Baika" Couplerなるものを使っている。」という話があったように憶えている。 

 "Baika"とは"ベーカー"の音訳である。ということは、当時のアメリカには、オリジナルのBaker型を知る人は、既にほとんどいなくなっていたということになる。

 その号がいつ頃の号なのかは見当が付かない。アメリカに居た時、買ったBack Issueの中にあったのか、友達に見せてもらったのかも忘れてしまった。

 ここで紹介したパテントはGoogle Patentですぐに検索できる。自宅に居ながらにして、アメリカの特許を検索できるのだ。楽な時代になったものである。

2007年10月06日

Baker型連結器

Baker type coupler from 1946MR 最近見ない連結器であるが、1970年代までは日本国内に多量に存在していた。TMS誌にもベーカー型とあるだけで、特に何も説明がなかったし、古い"Yard"誌を調べても、その起源については何も解説がなかった。ただ、左右が反対のタイプ(天賞堂製)を"カーベー"型と茶化した話があるだけであった。

 栗生弘太郎氏はその起源に興味を持たれ、古いMR誌を丹念に探された。そして、ついにその起源に辿り着かれたのだ。その経緯はこのBBSをご覧あれ。

 この写真はまさにベーカー型である。下に垂れ下がった部分は連結されたホースのように見える。驚いたことに、O,S,HOと3種もある。栗生氏が御指摘のように開放ランプの価格が異常に安い。(写真は栗生弘太郎氏御提供)

 左の広告の載ったMRは1946年1月号だそうだ。日本はまさに戦後の混乱期で、その頃のMRを所有している人はいなかったに違いない。おそらく、占領軍の中の趣味人が持ち込んだのだろう。Baker type couplerという言葉とその見本だけが結びついて、日本での製作が始まったと思われる。日本製のベーカー型はアメリカ製の完全なコピィであった。

 特許もずいぶん調べたが、見つかっていない。それも幸いしたのか、日本国内では占有率が100%近かった。しかしアメリカへの輸出はあまりないようだ。インポータが遠慮したのかもしれない。

  

2007年10月04日

旋盤の価格

 KKCの皆さんの御意見は一致している。旋盤を持つべきだ。ブラスの機関車一台分で、旋盤が買える。その通りである。

 旋盤があれば何でも出来る。やろうと思えば、フライス盤の代わりをさせることもできる。旋盤を持つと、いろいろなアタッチメントが欲しくなる。おそらく本体以上に出費することになるだろう。そこまでそろえれば、模型屋通いが減る。ほとんど自分で出来るからだ。その後の出費はかなり少なくなるだろう。

 材料はクズ屋で調達できる。筆者は新品の材料はほとんど使わない。切れ端を目方で買ってくればよいのだ。大きな切れ端から作るには大きな旋盤が要るから、旋盤の大きさに応じた買い物をする必要がある。

 旋盤は工作物に応じた大きさが必要だ。大は小を兼ねないし、その逆も言える。筆者の旋盤は心間600ミリ、ベッド上の振り直径が180mmである。改造に次ぐ改造で、かなり原型から遠ざかっている。手を入れた機械は、自分の一部のようなものだ。

 旋盤の部品は、ネットオークションで安く調達できる場合もある。

 このような旋盤工作の達人たちのサイトがいくつかあるのでそれを見てアイデアを頂戴する。もっとも、そのようなアイデアは、ほとんどが長らく現場で伝えられて来たものであろう。

 鉄道模型は造形の美を楽しむだけではない。正しく走らなければならない。それには旋盤を使った工作が不可欠である。


2007年10月02日

ドリルレース

 ドリルレース(Drill Lathe)という言葉があった。最近はとんと聞かないから、死語になってしまったようだ。 レースの発音は正しくない。最後は濁る音だ。
 要するに電動ドリルのチャックにワーク(工作物)を取り付け、回転させておいてヤスリを押し付ける。昔のTMSにはよく紹介されていた技法である。やってみたが、ヤスリに切り粉が完全に詰まってしまう。ヤスリを動かしながらやってみても、うまく行かない。

 ヤスリは次々と新しい刃が接触しながら移動する様に作られているから、同じ刃にワークがこすり付けられることを想定していない。一方、ロクロは固定された刃で削るのだから、旋盤と同じだ。

 金鋸の刃を折ったものを研いで、それでやってみるとうまく行くが、刃先が安定しなかった。仕方がないので刃物を載せる簡単な台を作ってみた。何のことはない。一種の旋盤である。
 よし、旋盤を買おう、ということになって小型旋盤を入手した。その旋盤は、アメリカに引っ越すとき神戸の友人に貸してそのままになっていたところ、地震で壊滅した。各種の自作の工具が付いていたので、もったいないことをした。現在のは3代目である。

 著名な模型人で、「ドリルレースで何でも出来る」と強調される方がいらした。素晴らしい作品を次々に作られたが、走るところは見たことがなかった。あるとき、初めてその走行を見るチャンスがあった。驚いたことに、動輪の心が出ていない。ぐわぐわと揺れながら走った。見てはいけない物を見てしまったような気がした。何を思われたか、その方は筆者に話しかけてきた。

「『ドリルレースで何でも出来る』というのは、あれは私の強がりだった。反省している。旋盤を購入すべきだった。しかしもう遅い。私にはもう時間がない。あなたは偉い。最初から旋盤を使っている。それが正しい。私にはそれを褒める勇気がなかった。旋盤の価格など知れていたのに。」

 心に残る言葉であった。その後まもなく、その方は亡くなられた。

Recent Comments
Archives
Categories
  • ライブドアブログ