2007年05月

2007年05月31日

続 Dick Bregler

NYC Observation Dickの客車のうち、NYCの客車はブラス製ではない。Tin Plate製である。ティン・プレートとはブリキ板であって、薄い鉄の板であるから日本では錆びやすい。アメリカではブラスと同様に模型の材料として広く使われる。

 側板は金属であるが、屋根と床は木製である。ガレージで木工用の道具を並べて屋根を作っていた。軟らかくて目のないBass Woodなどで屋根を作る。専用のRouterで所定のコンタに削って、サンド・ペーパを掛ける。

 室内はかなり細かく作ってある。屋根のアンテナ(多分無線電話のアンテナだろう)なども細かい部品をロストワックスで作って仕上げてある。

 展望車の最後部は左右が一体である。すなわち側板はかなり長いものになる。それを型で曲げて作る。このように作ると曲がり具合がそろい、美しい。

 屋根が比較的重いので、重心が高くなる。台車のキングピンが少し緩く留まっていると、車体がゆらゆらと本物のような周期で揺れる。走行中の揺れがあまりにも実感的なのでしばし見とれてしまった。この客車は鎮目泰昌氏の所蔵である。

 屋根を木製にするというのは、Bill Wolferの方針による。彼はBoxcar Kenの客車の程度で十分という認識を持っていた。照明の配線を考えても、短絡する可能性のない木製を好んだ。


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2007年05月30日

Dick Bregler

Robert Bregler Dickは、有能なカスタムビルダであった。この写真は知り合った頃の写真で、シアトル近辺で撮ったものらしい。彼は、岩国ベースの海兵隊に居た。その頃の話は良く聞いた。山陽線のC62,C59が好きだったようだ。

その頃の彼の友人のRonは、日本の機関車が大好きで、Ronにビデオをたくさん買って送って差し上げたことがあった。彼ははD52が好きだったと言う。D51は力のない機関車であったと言っていた。戦後の燃料事情の良くない頃であったので、火室の狭いD51では牽き切れないこともあったのだろう。

 さて、DickはNASAの職人を辞めてからカスタムビルダとして身を立てた。Bill Wolfer、Bob Janzenと組んで注文を受けていた。

Bill Wolfer Bill Wolferは元フィラデルフィア警察の殺人課の刑事で、人を見る眼が鋭い人であった。刑事をやっていると、人生の中のいやな部分ばっかり見て来たから、早く退職して好きな趣味で身を立てることにしたのだそうだ。Billとは70年代に会っている。当時は、フィラデルフィアに住んでいて、電話で会う日を予約することになっていた。刑事の仕事をしていたので、非番の日にしか客には会わないわけだ。

NYC Diner 「ロスアンジェルスに引っ越したからまた会おう」という手紙が来たので。訪ねてみた。確か80年くらいのことだ。そのとき、Dickと引き会わせてくれた。Dickは、組みかけの客車をたくさん見せてくれた。そのうちの一編成が関西にある。


2007年05月29日

続々 Lou の仕事

Lou's double slip #8 このようなダブルスリップを作るのは彼にとって朝飯前の仕事だ。人に頼まれて作ったのか、自分のレイアウト用なのかはわからないが、とても美しい仕事であった。


Lou's City of Los Angeles これは1940年ころのCity of Los Angelesである。どう見てもキットを大改造して作ったものである。完成品ではない。
メーカ名がわからぬが、多分、ブラス製の鋳物の頭部に、サイドをスクラッチ・ビルドしたものである。塗装が美しく、素晴らしい仕上がりである。


Lou's Layout レイアウトの一部を写した。全体は広すぎて、写しきれない。全てのレイルは彼が手で敷いたものである。

 LouはLos Angelesで証券関係の仕事をしていたという。「日本の企業もお客さんだったよ。」と言っていた。退職して、市の中心部にあったアパートを売ったら、買ったときの価格の100倍であったそうだ。何年住んでいたかは聞き漏らしたが、すごい話だ。

2007年05月28日

続 Lou の仕事

Lou's Challenger Express Car これはLouの作ったExpress Boxcarである。プラスティックのキットを大改造して作った。元のキットの原形を留めているのは妻板だけで、あとはほとんど彼の手作りである。実にうまく作られている。1台だけではなく、ちゃんと複数台作られていた。1台作っても2台作っても手間は同じだからだ。


Lou's Challenger Express Car 2 台車はAllied Full-cushon Typeを付けている。床下も細かく作られ、素晴らしく実感的だ。



90 degree crossings for double-track これがLouの本業の商品だ。このように細かく出来たフログ類を売っている。幾つか買って配置するだけでかなり精密感のあるクロッシングやポイントが出来上がる。

 これはコンヴェンションでの商品見本であり、持ち運んでいるのであちこちが傷んでいるようだ。Louは、何種類かのレイル高さで、各種の番手のフログを用意している。路面電車用の3番のフログとかトングレイルもあるし、本線用の10番のフログもある。


2007年05月27日

Lou の仕事

Lou Cross Louは、Right-O'-Wayという会社を持っている。レイル関係の部品を作っている。フログとトングレイルを作っているから、その製品を買えば、素晴らしいポイントがすぐに出来上がる。ということになっているが、「最近は売れないんだよね。」とぼやくことしきりである。アメリカ人の工作力が急速に衰えているのだそうだ。

 Louは素晴らしい腕の持ち主で、客車や貨車を極めて実感的に作る。既製品など足元に及ばないほど、精緻な観察力を以って作り上げる。しかもそれが速い。

 今年83歳になる。とても80代には見えない。精力的で眼も耳も良く、頭の回転も飛び切り良い。いつもコンヴェンションで会う。どのコンヴェンションでも会う。自分の製品を売るためだから、当然であると言えば当然である。

Daylight Observation Cars of Brass 久しぶりに家に来ないかというお誘いがあった。もう25年振りである。田舎に引っ越して100坪ほどのレイアウトルームを作った。素晴らしいレイアウトを建設中である。その部屋の一角に、ブラスの板が積んであった。見ればDaylightの客車である。1960年頃Boxcar Kenというメーカが出していたキットと同じである。


Daylight Cars' Sides of Brass 聞けば、「そうだよ。Boxcar Kenのコルゲート・ローラを買ったのだ。」と言う。コルゲートを作るのは難しい。しかし、ローラでごろごろ廻して作れば簡単だ。

 Danと話がついていて、プレス作業をここでやり、Danが仕上げをするということになったそうだ。とりあえず24編成作るそうで、その後のことは判らない。もう、既に全部売れているという話だ。

2007年05月26日

続 Dan の車輌

MoPac F Units この機関車はAll Nationである。1950年頃に作られたダイキャスト製品である。元の造形が良いので僅かの修正でこのような素晴らしい作品が出来上がる。小さな部品を作って付けるだけでこのように美しく仕上がる。



Duplex Sleeper これはPennsyのDuplex Sleeperである。庭の緑が美しい。これは多分ブラスモデルである。このような美しい車輌が現実に走っていた時代があったのだ。


  
Santa Fe Regal Manor このSantaFeの車輌は特製品である。コルゲート板はたくさん用意してあった。
 このような製品を作るためにDanは友人たちとある程度の分業をしている。プレス作業がうまい人には窓抜きなどを外注する。先日もLouの家に行った所、大量のDaylightの客車の側板があった。
 

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2007年05月25日

Dan の車輌

Dan's cars interior 筆者はかなりの数のカスタムビルダと出会ったが、Danは最高の腕を持つ。素材の選び方、工作の方法、数をこなすための工夫が素晴らしい。

 毎日、「飽きもせず」と言っては失礼だが、こつこつと作業を続ける。一ヶ月で1編成が目標だと言っていた。退職したら一ヶ月2編成以上になるだろう。

 いろいろな部品を集めていたので、筆者の所有していた発電機などたくさん差し上げた。これはPRRの流線型客車用で、細かく出来ていたが、UPには使えないものであった。どういうわけか100個以上もあった。いずれ床下に取付けられて出荷されるであろう。

Dan's cars interior 2 室内の床材は何を使うか迷うところだが、彼は包装紙を使うと言う。いろいろな模様の付いた包装紙をよく見て使えそうなものを手に入れるのだそうだ。壁もその手でいけるものがあるそうだ。

 什器は暇を見て大量に作っておく。人形は大切だという。人が乗っているか、いないかで価値が何倍にもなると言う。その昔古いTMSで、伊藤剛氏が「室内は室外である」という名言を吐かれたがその通りである。外から見えるものは全て作るのだそうだ。食堂車の食卓には花が飾られ、皿が並ぶ。

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2007年05月24日

続 Custom Builder

IC E6 Diesel Electric Engines カスタムビルダはあちこちに居る。うまい下手は別として、人のキットを組み立て、仕上げてくれる人が居る。時々広告に出ている人は新参者で、Danのように名が知られている人は、広告など出さない。人づてで注文が入る。名刺すら持っていない。


IC 4-4-2 Sleeping car コンヴェンションで会うと、彼の顧客に招待されてレイアウトに行くのだと言う。そのレイアウトに行ってみると、彼の作品が何編成も並んでいる。一編成が軽自動車一台分くらいだから、すごいものだ。

 大抵は、流線型ディーゼル電気機関車と組み合わせての一編成である。機関車の塗りも素晴らしい。ほどほどの艶を出して、ディカールの貼り方も間違いない。

 彼の作品をいくつか紹介する。撮影者は同行のDickである。Dickも著名なCustom Builderであった。最近は健康上の問題があるそうで、引き受けていない。

 DickはBill Wolferと組んで、Penssyの特急列車を作っていた。Billが亡くなった頃から、カスタムを引き受けなくなった。Dickの客車は、日本にも何編成かが来ているはずだ。

 Dickとは70年代に知り合った。当時NASAで板金工をしていたと言っていた。とにかく器用な男である。朝鮮戦争の時に日本に駐留して、カツミに入り浸っていたという。当時の店員に聞くと、憶えていた。奥さんは日本人である。コンヴェンションでは毎年会う。大抵、近いブースである。 

2007年05月23日

Custom Builder

Dan Pantera Danは、シカゴに住む著名なカスタムビルダである。そろそろ退職して、フルタイムでカスタムビルド に勤しんでいる筈である。

 さる百貨店に勤めながら趣味の客車つくりをしていたところ、その腕の良さに驚いた連中がカスタムで作ってくれと頼んだのがきっかけだ。
 
 シカゴ近郊の閑静な住宅街の中に、Danの家はある。地下室は図書室と工作室、そして倉庫となっている。

 図書室にはありとあらゆる客車の図面集、写真帳、書籍が集められている。東部、中西部の客車なら何でもござれだ。

NYC Diners 工作中の写真があまり沢山ないのは残念だが、手際よく作るための道具が並んでいる。一角には塗装室があった。

 倉庫には大量のキット、その他の材料が山とある。この先、5年分のウェイティング・リストがあるそうで、注文を出したくても、そう簡単には順番は廻って来そうにない。

 遊びに行くたびに、製作のコツを伝授してくれる。「お前も仕事を手伝え。」などと言うので、「やることがなくなったらね。」とかわしている。


2007年05月22日

Kemtron 客車のハンダ付け

UP Dome Observation 9008 Native Sun 一昨日のワークスK様のコメントではずいぶんお褒めを戴いているが、それ程うまいとも思わない。

 確かに下手をすると反り返りやすい。しかし、このケムトロンの材質のせいかあまり反らない。

 組立てのうまい人にその秘訣を聞いた。そのコツを紹介する。 
 一度にハンダ付けを完了しようと思うから失敗する。たくさんの客車を並べて少しずつハンダ付けする。要するに冷えるまで待て、ということだ。

 屋根と側板を付けるときには、10 mm × 20 mmくらいの薄板を多数用意し、まず真ん中、次いで端、その中間という具合にそれぞれ一瞬でつける。要するに伸びる間を与えないということだ。もちろんつける瞬間には局部的に熱くなるが、治具で押さえ込んでいるので何とかなる。

 ハンダコテは用いない。カーボン・ロッドの接触抵抗でハンダ付けする。どうしてもコテが必要なところは、200 Wのコテを用いる。

  炭素棒でハンダ付けするのはピンセット型の半分を拡大したものと考えればよい。片方をアースし、他方を炭素棒とし、接触させて通電すればよいのだ。2秒ほどでハンダが融けて完了する。この操作は木材で作った冶具の中で行う。次から次へと流れ作業でやる。冬の方が冷えやすくて効率的である。夏は扇風機の風を当てる必要があるだろう。 

 このような客車の組立てを引き受けるCustom Builderと呼ばれる人がいる。

2007年05月21日

Russ Briggsの客車

Russ Briggs Kemtronの客車は、全て一段エッチングなので、窓抜きその他は全部手仕事になる。正直なところ、忙しい人には出来ないだろうと思われる。

 85年にマサチュセッツのRuss Briggs DesignsKemtronのデザインを買い取り、より現実的なデザインに改良した。3段エッチングで抜き落としを組み合わせ、客車の屋根と側板を一体にした。曲げ加工したものを売り出し、組立を極めて容易にしたのだ。床下はウレタンのワン・ピース・キャスティングとし、実質組立て時間は1輌あたり3時間くらいだろう。また、新しい車種も追加した。

オリジナルの製品より、板がやや薄くなったが、実に簡単に組み立てられる。価格はかなり高くなったが、買う人は増えて、商売は成功したように見える。と同時に、旧来のキットは急速に価値を失ってたたき売りされるようになった。

 しかし、10輌以上の編成で軸受が通常の方法では、とても牽けない。機関車が2輌でやっとである。電流が大きく、大きなデコーダが要ると友人がこぼしていた。
 このような重量級の車輌にはボール・ベアリングの効果は目覚ましい。30 kgの列車が1 A以下で走るところを見たら、驚かざるを得ないはずだ。

 客車には電灯が必要である。いくら走行抵抗を減らしても、室内灯の電力が大きくては意味がない。電球色のLEDを点けて走らせるつもりだ。個室寝台は一部屋ずつ点滅できると面白い。これもDCCなら可能である。モータ駆動部の焼けたデコーダを利用すると、1台で数部屋の点滅が可能である。友人のレイアウトで見せてもらって、どうしてもやりたくなった。

2007年05月20日

Dome Car, Pullman Car 

Kemtron Dome Car ドームの屋根は、室内側に板を張り重ねて厚みをつけた。こうすると実感味が増す。ほとんどの模型にはこれが付いていない。
 床板がないので台車に載らないから、仮の支えで写真を撮った。この写真の左手が前進方向である。ドームの後ろには排気管があり、エアコン駆動用エンジンの排気が吹き出す。この写真では向こう側の屋根にある。

 床下機器は写真を見て適当に作るつもりだ。走行性能重視で、ディテールにはあまりこだわりたくない。 

Pullman 11 Bedroom Car この車輌は11-BedroomのPullmanである。
 このプルマン寝台車は、片側が通路になっているので、左右で窓配置が全く異なる。本物には一度しか乗ったことがない。懐かしい思い出である。窓ガラスが緑色でとても静かであった。

 連結器はケイディを使わないつもりだ。ほとんど固定編成であり、レイアウトに載せたら、外すことがないだろうと思われるからである。専用の留置線も作ってある。客車が出発時に連結器遊間のガチャガチャ音を出すのは、許せない。

 City of Los Angelesの発音だが、年配の人はロス・アンジェリースという人が多い。思い切ってそのように発音したら、にっと笑って「地元の人はそう言うんだ。」と教えてくれた。つづりを考えると英語の"Angel"ではない。スペイン語を英語風に発音するわけである。

2007年05月19日

続々 Kemtronの客車キット

UPの絵葉書より Observation Car City of Los Angelesという列車はUPの看板列車であった。シカゴ−ロスアンジェルス間を2日半で走る。1930年代から特別な機関車で運行されていた。最初は蒸気タービン電気機関車、次はディーゼル電気機関車、その次は軽量なディーゼル電気列車、1956年の豪華なドーム付き列車などなど、興味は尽きない。

 この写真は1956年撮影で新車らしい。UPの絵葉書の写真だ。最後尾の文字はネオンサインである。もう少し良いデザインもあったのではないかと思われる最後尾である。この時期の他社のデザインに比べておとなし過ぎる。

 このドーム・オブザヴェイションのキットがあるが、「お好きなように作ってください」と買った人にお任せである。妻板は標準品が一枚しか入っていなかった。流線形部分の妻板寸法は、割り出してあるのですぐ作れる。この部分はいろいろな人の作品を見たが、どれも違うと感じた。写真をよく見て作りたい。

UP Dome cars 3台のうち、一番後ろがObservationである。問題は屋根の最後尾の丸みである。友人の勧めの通り、大きなブラスのブロックを削り出して作っている最中である。それだけで150 g以上あるので重心が上がって良くない。

 ドームの部分は一階が低くなっているので側板を下に延長する。やや丸みをつけなければならない。ブラスの地肌のままなのでみすぼらしいが、塗れば立派になる。この状態で10年も昼寝している。

2007年05月18日

続 Kemtronの客車キット

Postal Storage Car 荷物車は80 ftをキットから作ったが、73 ftのを2輌製作中である。これは完全なスクラッチ・ビルトである。
 80 ftの方は、組立て済みを参考品として買った。これには6輪台車が付いている。これは4輪台車を切り刻んで継ぎ足したものである。理屈が分かっていない人が切り刻んだので、でたらめなところもあるインチキ台車ではあるが、ちゃんとイコライズする。この車輌のドアは、アメリカから帰国するときに、引越し荷物の中に紛れ込んで行方不明になった。そのうち再製作する。

Kemtron Trucks w/Ball beraing 筆者はボディキットを長年に亘ってかなりの数、蒐集したものの、台車が無く困っていた。5年ほど前、友人がKemtronの台車を手放しても良いと言うので、全部買ってしまった。かなりの金額である。車輪は捨てて、自分の低抵抗車輪に嵌め替えた。同時にボール・ベアリングを仕込んだ。

 これで準備完了で一気に完成まで持ち込みたい。牽引機はPA-PB-PAE8のABB編成である。早く完成させたい。

Kemtron Passenger Car Parts キットの構成は、側板、屋根、妻とドームの部品というところである。どれも厚い材料で作られている。ジグを作ってはめ込み、大きなコテで一気に付けた。今なら炭素棒ハンダ付けでやるだろう。

2007年05月17日

Kemtron の客車キット

Kemtron Passenger Car Kits Kemtronは10種ほどの客車のキットを出していた。そのうち4種はドーム付である。板の厚さは0.63 mm(1/40インチ)だ。

 一段エッチングなので、大したディテールは付いていないが、編成になると立派である。台車はACFのイコライザ付である。車体がかなり重いのでバネが効く。この列車(14輌)の質量は30 kg弱である。当然軸受にはボール・ベアリングが必要である。4輌は完成しているので機関車で牽かせてみると、その重さが実感できる。
 
 板の厚さは0.55 mmである。屋根は友人が型を作ったので、曲げてもらった。元のキットはまっ平らな板であった。アメリカ人は曲げるときは焼き鈍すのが常識らしくすごく軟らかくなって返ってきた。困ったものである。肩のカーヴも微妙に違う。これはあとで修正した。

 完成させたあとでも、ちょっとぶつけると、凹みそうである。屋根の中央にいくつか穴をあけ、roofwalkを取り付けた。

 窓は抜けていなかった。申し訳程度に、プレスで角穴があいていたのもある。あとはヤスリ仕事である。一枚仕上げるのに1時間以上掛かる。外周も適当に切ってあるので、大きなシャーを借りて切った。細かいところはヤスリである。14輌の窓抜き等の仕上げで、ブラスの粉が牛乳パック2杯くらい溜まった。それにしても重い車輌だ。

 30 kgの物体が摩擦ゼロに近い状態で秒速40 cm位で移動している状態を想像して戴きたい。ブレーキを掛けないと止まれない。ぶつかったときの衝撃は大きい。最初の一台はくしゃくしゃになるだろう。非常時の制動装置を考えないと危ない。

 何台かの客車にDCCで作動するブレーキをつけようと思っている。モータ駆動部が焼けたデコーダがいくつかあるのでそのファンクション出力だけを使って作れるはずだ。簡単な機械式ブレーキを考えている。

2007年05月16日

Kemtron キットのハンダ付け

RS-3 Soldering このRS-2/3のハンダ付けはなかなか難しい。大物を4つ同時につけなければならない。このようなときは、CLWのネジ留め法は優れている。

 仕方がないので、ジグを作ってはめ込んだ。三方から押さえ込んでガスバーナで焙り、ハンダを流して固定した。ハンダが流れ出るくらい使っておき、一つずつ加熱して余分なハンダを重力で落として仕上げた。垂れるハンダは大きなコテで受けると完全に吸い取ることが出来る。

 ラジエータの片方だけ仕上げるときは、浅い皿に水を入れ、寝かして行う。水に浸っている方は、熱から完璧に保護される。やや傾けておけば、余分なハンダは下に集まり、除くことが出来る。回収したハンダは再使用できる。

 このような方法をとるときでも、基板に大きな穴を開けて、内部が見えるようにしておかないと、余分なフラックスを取り除きにくい。残っていれば腐食の原因になる。

 AlcoのRS-2/3は、そのデザインの流麗さで知られる。それまでの角ばったデザインから脱却し、曲面を多用した。しかし、まだ三次曲面ではない。だから、模型も板を曲げて作ることが出来るのだ。この模型のエンジンフッドは、前後がつながって一体で出来ている。キャブ内にそれが見えるのは許せないので、内部はハンダ付け後、削り取った。キャブの床板をどのように取り付けるかが難しい。

1950年から1956年にかけて、あわせて1795輌も製造された。3400輌も作られたEMD GP-9にはかなわないが、かなりのベストセラー機である。

 
Kemtron RS-3 Built-up この写真はオークションに掛けられたものの1枚である。台車はTrimountを付けている。これはKemtronのキットに入っているものもある。残念ながらイコライズしていないから、走行性能はよろしくない。

2007年05月15日

続 Kemtron製品の改装

RS-3 Mechanism このRS-3の床板には驚いた。床の縁取りは1/8 ×3/8インチ(厚さ3.2 mm、幅9.5 mm)の角材を貼り付けるのだ。

 エンジン・ルームの前後はロストワックスの一体部品をつける。台車はいろいろなものを見比べて、結局は韓国製の台車を大改造して付ける事にした。この機種は、UPに限ってはローラー・ベアリングを採用していない。部品箱をひっくり返して、フリクション・タイプのジャーナル・ボックスの蓋を探し出した。新しい軸箱をフライスで削り出し、貼り付けた。

 もちろん模型はボールベアリングによる支持を採用している。軸重がある程度大きいとボールベアリングの効果は著しい。

 この径のスプロケットを使う限り、チェイン・ドライヴは出力3Wくらいまでは大変良い伝達方式である。それ以上になると効率が極端に悪くなる。おそらく、負荷を掛けたとき、チェインが伸びて、ピッチが合わなくなるためであろう。

 そういう時は複列にして、チェイン・ホイールの歯を半ピッチずらせば、かなりの効果がある。こうすると音も極端に静かになる。

 チェイン・ホイールの軸ももちろんボールベアリングで受ける。かなりのラジアル荷重が掛かるので大切なことである。
  
 この写真ではまだ付いていないが、全軸集電は必要なことである。ボールベアリングを付けると、集電が極端に悪くなるので、タイヤから集電する。 

2007年05月14日

Kemtron製品の改装

GP-7 Mechanism ケムトロンのキットは大変厚い板でできている。1.27 mm ( 1/20インチ)である。床板はもっと厚い。ガスバーナか炭素棒を使わないとハンダ付けは困難だ。
 
 ハンダめっき(これをtinningと言う。)しておいて、クランプではさみ、塩化亜鉛水溶液を滲み込ませて焙る。あっという間に出来る。組み上がると大変な質量で、補重の必要などない。

 キャブ(運転室)の窓の寸法がおかしく、修正し始めたがまとまりきらず、投げ捨てた。0.6 mmの板で作り直し、バッテリィ・ボックスも作りかえた。

 動力はAll Nationのものが添付されていたが、電流を食い過ぎるので使わなかった。なんと、起動電流が5 Aであった。昔の製品は皆そんなものであり、パワーパックの電流値は12 Aとか20 Aというものがあった。脱線してショートすると、レイルが熱くなった。

 その動力装置は友人が欲しいと言ったので差し上げた。高効率の3条ウォームギヤと、チェイン・ドライヴに改装した。起動電流は20 mAである。フル・スリップ時でも1 Aに満たない。

 出力2.5 Wのモータであるが、50輌位を牽いても加速は十分だ。4重連するので十分過ぎる能力である。

2007年05月13日

続 Kemtron

Kemtron RS-3 スワップ・ミートで見かけるキットはKemtron製が多い。商品として売り出された数が極端に多いからであろう。すなわち彼の商売は大変成功した。細かいシェイのキットも売り出していた。

 筆者はGP-9とRS-3のキットなどを持っている。どちらも今のレベルから見れば、ややのっぺりしているが、組み立てて色を塗るととても立派に見える。

 CLWと似た構成だが、より単純な構成であり、簡単に組める。板が厚く、平面性が良い。この会社のキットも、ガスバーナで加熱してハンダ付けすることを前提に作られている。CLWは駆動装置も自前であるが、Kemtronは、All Nationの駆動装置を流用するようにしていた。後に日本製の駆動装置を輸入して取り付けるようにした。

 大きな部品もロストワックスで作りたかったが、平面性の確保が難しかった。そこで、ポリスチレンのインジェクション・モールド(射出成形)により作ったプラスティック・パーツを埋没するロスト・プラスティック法を開発した。

 これにより、大きな客車の妻板を成形することが可能になった。もっとも妻板は横一文字の二分割であり、ハンダ付けして使う。このキットのキャブの妻板もプラスティックを燃やして作ってある。これは左右二分割であった。

 客車はKemtronが得意のエッチングシートで出来ていて、大味ではあるが、編成で見るととても美しい。筆者は、"City of Los Angeles"を構成するだけの数は確保した。半分くらい組みあがった状態である。14輌の色をそろえるのは大変である。実物は多少異なるものが入っている。

 1960年代の一時期、スロットカー・レーシングにも参入したので、Kemtronブランドのモータが売られていた。協同ライト商会Kemtronに各種の製品、半製品を輸出していた。

2007年05月12日

Kemtron

Kemtron Catalog  Kemtronはカリフォルニア州フレズノにあった会社である。Levon J. Kemalyanが経営していた。もともとは印刷用の銅版を作るエッチング工場であった。そのうち、経営者の趣味が嵩じて鉄道模型にそれを応用し始めたらしい。

 ロストワックスを大量に模型に応用したのはこの会社が最初である。要するに、エッチング、ロストワックスによるキット、完成品を供給した会社である。

 Kemtronという名前は社長の名前の最初の3文字と、electron(電子)の語尾をつなげたものだ。

 Max Grayとも親交があリ、彼が日本に大量発注をしたときに、ロストワックスを供給した。後に、Max Grayが死去したとき、発注してある商品を受け継ぎ、US Hobbiesという会社を設立運営したが、1976年Levonの死去により会社は売却された。 

Kemtron GP-7 ケムトロンの製品は、ブラスの色が違う。他の会社の製品に比べて、亜鉛が多く、青みがかった色である。また、エッチングのマスキング剤が除去されずに残っていて、それが紫色をしている。彼の経験上、もっともエッチングが効率よく出来る材料を選んだためであろう。この材料は極めてやすり性が良い(よく削れる)。この写真のキャブは日本製のブラスで作り直した物である。

 ケムトロンのロストワックス技術者は、後にCal-Scaleを設立した。このあたりの人脈は皆つながっていて興味深い。

2007年05月11日

続 Gilmaurの kit

Gilmaur's U23-B 当初、ギルモアは三軸台車を供給しなかった。だからほとんどの人はAlcoのB-truckをつけてU23Bタイプにした。

 筆者はどうしてもU-30CにしてUP2921を作りたかった。ロストワックス製の台車は見つからなかったので、最近苦労して図面を描き起し、CNCで作る準備をしていた。

 2月のSwap Meetで、ある友人が「お前、これ買うだろ?」と台車を数組分持ってきた。大変できが悪く断るつもりだったが、せっかくだから一組買ってみた。

 どうもいつも会う仲間内では、「ブラスの面倒なキットはあいつに売りつけろ。」という事になってしまったようだ。「完成したら売りに来い。」と言うけしからぬ奴までいる。

 この台車はGilmaurが作ったものらしいが、大変バランスの悪い製品である。結局作り直すことになりそうである。最近はこのGSCの6輪台車を、また発売しているようだ。ブレーキシュー周りはホワイトメタルである。

 ギルモアのキットはこれ以外に多数出ている。購入は自己責任でお願いしたい。貨車は薄いエッチング・シートで作られているから、軽くて良いかもしれない。しかし必要以上に部品がついているので重そうだ。 

 1970年代は、EMDに比べるとAlco-GEの機関車の方が流麗である。機関室の造形は凹凸の少ないデザインである。EMDの直線的なデザインに対抗したのだろう。


2007年05月10日

Gilmaurの kit

Gilmour's kit Gilmaurはイギリスの人である。コンヴェンション会場では時々会う。たまにメイルも寄越す。

 彼らが、どういう風の吹き回しか、アメリカの機関車を作り始めた。買えというので買った。「感想は?」と聞かれたが、答えようがない。とにかく薄い板でできたキットである。0.3mmの板である。それを裏からも半分エッチングして曲がりやすくしている。2回曲げると折れてしまう。

 ショートフッドの上部の丸みはなんとソフトメタルである。薄い板にはハンダで付けることは困難である。「なーに、エポキシ・セメントで付ければいいのですよ。」とのんきなことを言うが、厚いブラスの板から削りだして作り替えた。

 古いモデル・レイルロード・クラフツマン誌に図面があると指示してあるのでそれをコピーして作り始めた。それが昨日の写真の手前に置いてあったものである。

Gilmour's kit2 作例写真はあるのだが、キットからは、こういう風にはできないと思う。製作者の腕が大いに関係あるはずである。

2007年05月09日

仕掛かり品の山

Brass Kits under construction 仕掛かりの機関車を入れてあるプラスティック・コンテナが山になっている。30箱くらいはあるだろう。

 CLWが一体いくつあるのだろうと数えてみたら、意外に少なく6輌であった。あとは、Bill Melisのキット、KTM製のもの、All NationKemtronLobaugh、それとイギリス製のアメリカ型キットがあった。

 残りの人生の時間をこれらの完成にどれだけ振り向けられるか。買うときはそんなことなどあまり考えない。安いし、向こうも買ってくれと言ってるのだから買ってしまう。日本では手に入らないのだし、今後アメリカでも手に入り難いのだから…と考えて買うのだ。

 最近は、どうやら「手に入り難い」と思ったのは間違いであったように思う。アメリカでもクラフツマンの数は減少し、ハンダ付けの量が多いものは嫌われるようだ。スワップ・ミートに行けばいくらでも手に入る。「お前なら買うだろ?」といって押し付けられることもある。

 プラスティックのキットでさえも、部品数が多い細密キットは、もう誰も組立てたくないらしい。GP-9の素晴らしいキットがあるのだが、その組み立てはかなり大変である。この会社は、型をAtlasに売却してしまい、Atlasは中国で組み立てて、完成品を輸入している。壊れやすい手摺は金属製に作り替えて、比較的丈夫にしたようだ。

 筆者もAtlasが部品として出している手摺を買って、それを取り付ける予定だ。下回りは日本製の部品を流用して作ってしまった。GP-9は筆者には懐かしい機関車で、UPの本線を9重連で走っている写真を撮ったことがある。とりあえず4輌製作中である。 同時に作ると、作業が早い。

2007年05月08日

Sweat Soldering

Sweat Soldering 先日Sweat Solderingという言葉を出したところ、何人かの方から、もう少し詳しくという要望があった。

 Sweatは汗という意味であるが、強く加熱するという意味もある。鉱石を加熱して、その中に含まれる金属分を溶かし出すときにもよく使う言葉だ。

 建設工事で熱水配管は銅管を使うようになった。アメリカなどでは19世紀から銅配管を用いている。継手の内側、管の外側をよく磨き、フラックスを塗って加熱し、薄くハンダを塗る。

 これを組み立て、再度フラックスを塗り、加熱する。ハンダめっきが融けたとき、新たな棒状ハンダを当てれば、ハンダはとろりと融けて隙間に滲みこむ。隙間に表面張力でハンダが満たされた瞬間にハンダの供給を止めれば良い。

 文章で書くと難しいが、やってみれば簡単である。コツはハンダの量だけである。

 さて今日の写真をご覧戴ければ、その仕上がりがお分かり戴ける。全く隙間なくハンダが埋め尽くし、しかもはみ出ていない。細めのハンダを使って量を加減するのだ。もしハンダが微妙に多くなり過ぎた時はどうするか。

 重力を使うのだ。減らしたい方を上に向けて保持し、裏に塩化亜鉛溶液を多めに塗る。ガスバーナの火を細くして、その部分だけ加熱する。余分なハンダは融け、裏側に回りこむ。するとこのような美しい仕上がりになる。表にはフラックスは塗ってはいけない。塗ると、ハンダが表に広がることがありうるからだ。裏側のみに、ぬれをよくする工夫をするということである。

 フロアスタンドの写真をアップロードしたのでご覧戴きたい。

2007年05月07日

さらにCentral Locomotive Works

CLW SD40-2 SD40-2はEMDのベストセラーの機関車である。それまでのジェネレータ(直流発電機)ではなく、オルタネータ(交流発電機)方式になって、"-2"でさらに制御基盤のユニット化で保守が楽になった改良機である。大成功を収めた機関車で一番よく売れた。出力は3000馬力である。

 筆者がこれを入手したのは、DDA40Xにはさんで運用する"Fast Forties"と呼ばれるものを作りたかったからである。ショートフードが長い、いわゆるスヌートと呼ばれるものを作った。中には無線設備が収容されているらしい。

 この"Snoot"という言葉は「犬の鼻のような形」を意味すると同時に、「鼻持ちならない、お高く留まった」という意味もある。

CLW SD40-2 Brochure ロング・フードのエンジン点検ドアはエッチングでうまく表現され、申し分ない。台車がHTCで極端に細かく出来ているので、組み立ては大変である。これは接着剤の助けを借りなければ組み立ては不可能である。

 燃料タンクは板から自作した。キットの中の材料ではみすぼらしかったからである。ちょうど新しい設計方針に変わる過渡期で、下回りが古い設計のものだったからだ。このキットはBob Smith本人から直接買った。発表間もないときであった。確か、電話で予約しておいて、コネチカットで開かれたコンベンション会場で受け取ったと記憶している。


2007年05月06日

続々々々 Central Locomotive Works

CLW Mechanism これは、下回りメカニズムの組立見本である。Louのこだわりは、燃料タンクの前後で、ドライヴ・シャフトが見えないようにすることである。チェインで下に降ろし、ウォームで駆動している。効率はあまり良いとは言えなかった。

 筆者のギヤを見せると夢中になった。オプションで選べるようにしようというところまで行って倒産してしまったのは残念であった。
  
CLW SD40-2 photo engraved brass sheet この写真はSD40-2のボディのエッチングされた板である。表から2段、裏から1段の凝った仕組みで、素晴らしい造形である。約20年ほど前にBob Smithによって作られた。

 この板は厚さが0.52 mm (2/100インチ) で、CLWにしてはかなり薄い。しかし組み立てると驚くほど堅い。材料を部分的に貼り重ねるところがあるからだ。

 筆者のSD40-2はほとんど出来た状態で20年放置されている。今、ようやく完成させるために取り出したところだ。

2007年05月05日

続々々 Central Locomotive Works

CLW EMD Bulldog Nose Casting Mold CLWの機関車のノーズは、ブラスではなく、ブロンズのロストワックスである。写真はそのモールド型である。

 内型はいくつかに分割できるようになっている。外は2つに分かれるだけである。Louはこの型をより精密に作り直したかった。日本で作れないかと打診があったが、価格が向こうの想定の十倍以上であったので、お流れになった。

CNC Machined Frame and Fuel Tank LouはCLWの弱い下廻りが嫌いであった。CNCでブラスのバーから削りだして堅くて重いフレームを作った。明らかに過剰品質であったが、なかなか人気があった。しかしコストが掛かりすぎて利益が出ず、倒産してしまった。

 CLWは、ボディ・シェルの剛性を高め、フレームは位置関係を保つだけという方針をとっていた。下回りは薄い板のハシゴ状フレームで、あまり見掛けがよくなかったのだ。

 Louはさらに燃料タンクもCNCで削り出していた。重く、素晴らしいウェイトではあった。



2007年05月04日

続々 Central Locomotive Works

Tinning この写真はAlco PA,PBのボディシェルにハンダめっきを施した状態である。めっきといえどもかなり厚い。フラックスを塗ってガスバーナであぶり、ハンダを擦り付けるだけのことである。たちまちハンダで覆われるが、重力で屋根の肩付近には多少の「タレ」が出来るかも知れない。一向に構わない。 

Sweat Soldered それに部品をネジで締め付け、さらに塩化亜鉛の水溶液を隙間に滲み込ませた上でガスバーナであぶる。

 肩に出来た「タレ」はうまく傾ければ隙間に流れ込んで完全に滲みこむ。このように仕上げれば、ハンダが全ての隙間を埋め尽くして固まる。このようなハンダ付けを"Sweat Soldering"(焙り付け)と言う。

 この方法で仕上げた模型を日本の友人に見せると、「お前、下手だな。ハンダを使い過ぎだよ。」と必ず言われる。

 ところが、アメリカやイギリスの連中に見せると、"Perfect Soldering. Marvelous!"(完璧なハンダ付けだ。素晴らしい!)と絶賛される。

 余分なハンダは、ブラスの表面を銀色にしているだけで全く残っていない。これが最高の状態なのだ。

Soldering on Floor Stand 筆者宅のアメリカ製の電燈で、ブラス製のフロア・スタンドがある。ニューヨーク製の本物はこのようなハンダのにじみが付いている。アジアのどこかで作られているまがい物は全くハンダが見えない。そこが本物とそうでない物との見極め方であると、電気屋に教えてもらったことを思い出す。 

2007年05月03日

続 Central Locomotive Works

 Bob Smithは1998年くらいまでCLWを運営していたが、カリフォルニアのLou Houlemardeに売却し、2001年に亡くなった。

 その後売れ行き不振でCLWは倒産した。いずれ誰かが買い取って再建されるであろう。CLWは、その製品が非常にアメリカ的で、誰でもうまく出来る方法で構成され、かなりの耐久性が保証されていた。

 しかし、時代の流れで、細かく出来た韓国製などにはかなわず人気が落ちてしまった。Louが買い取って新しくビジネスを始めたが、アメリカ人の工作力が極端に低下した現在、この種のハンダ付けキットは人気がない。すばらしいキットなのに。

CLW PA Roof MonitorRoof reversed 




CLWの最大のアイデアはネジを部品と一体でをロストワックスで作ることであった。屋根に部品をつけるときはこの写真のように他の部品を介してナットで締め付ける。ハンダ付けしたくない人はしなくても良い。十分によく固着できる。ネジは十分に正確で緩むこともない。

 コンヴェンションに行ってよく顔を会わせる連中は、皆ハンダ付けの名手でそんなものかと思っていたが、実際は電線のハンダ付けさえうまくできない人が増えている。

 中古品を手に入れると、まさかと思うところがエポキシ接着剤で固定してある。しかも応力が掛かるところで、既に半分はずれている。そういうところこそ、適したハンダで固定すべきであるのに。
 
 Athearnという会社が出していた台車は、組立済で適当な価格でよく売れていた。組立工賃が高くなったので、キット状態で売り出したところ、途端に売れ行きが1/10以下になってしまったそうだ。要するに組み立てられる人が殆どいないということだ。

 アメリカでは、模型は買うものであり、作るものではない時代に入ってしまったようだ。よく会うイギリス人がぼやいている。「イギリスでは完成品と言うものはあまり売っていない。キットと部品を売るのが模型ビジネスである。」

2007年05月02日

Central Locomotive Works

CLW PA-1 CLWはフロリダの会社であった。社主はBob Smithでブラス製機関車をキットで売っていた。エッチングとロストワックスを多用したキットで、ハンダ付けの腕さえあれば必ずうまく出来るキットであった。

 以前このブログでもPA-1を紹介した。PB−1はなかなか見つからず、20年以上探していた。仕方なく自作するつもりで資料を集めていた。

 先日アメリカに行った際、旧知の友人Lou Crossにその話をしたら、「うちにあるよ。もって行け。」と言うので喜んで譲ってもらった。

 これでPA-PB-PAの3ユニットがそろった。UPにはALCOのPAが所属した期間は短い。EMDのEシリーズの方が成績が良かったのか、旅客機関車にはEMDが採用され、ALCOのPAは貨物用に格下げされた後、他鉄道に売却されてしまった。 

 この一週間はかかり切りで、ハンダ付けをした。もっぱらガスバーナで加熱した。フラックスは例のペーストを使い、大物は銀ハンダで付けた。そうしておけば、小物は低融点ハンダで簡単につけることが出来る。

 それにしても重い。踏んでも壊れないのではないかと思えるほど丈夫である。写真は手前の一台を除いて仮組みの状態を示す。

 屋根上の部品は板を通して、ロストワックス部品をネジで締め付ける。板がやや強く曲がっているので、締め付けるとよく密着する。あらかじめハンダめっきしておいて重ねて締め、バーナーで加熱すると全面ハンダ付けが完了する。

2007年05月01日

Kemtron の Outhouse

 早いもので、半年以上もほぼ毎日更新されている。休みに10回分くらいまとめて書き、細かく切って貼り付け、写真を入れるだけの作業だ。考えたり、資料を見ながらではないので極めて早くできる。

 自動送り出し機能があるので、不在であってもうまく更新されている。しかし、送り出し時刻は、所定の時刻より3時間半くらい遅れているようだ。

 このサイトを選んだのはいくつか比較をしてみて、もっとも簡単であるということだけで、深い意味はない。

 コメントは時々戴くが、ほとんどが筆者への私信で、公開するべきものではない。コメントは投稿すればすぐ載るわけではなく、管理者の判断で採否を決められる。



Kemtron HO Out House 本日の写真は、Kemtron の Out Houseで、御希望の方の中から抽選で1名様に差し上げる。本日より5月3日までの間にコメントを使って応募されたい。HOサイズである。(発送済)


 



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