2017年03月29日

パンタグラフとポール

OBJX パンタグラフは台の上に載っている。このような背の低い機関車では、乗務員が手を伸ばしたときにパンタグラフに触って、感電することがある。それを防ぐためになるべく高くするのがふつうである。

 パンタ台はアングルを組んで作るが、そのアングルを作らねばならなかった。ジャンク箱で見つけたアングルは 、なんとエッチングで溝を掘って曲げたものだった。くたくたでパンタ台の用をなさない。よくもこんな役に立たない商品を作るものだ。ジャンク箱から全部出して点検すると、そういうものが何種類か出て来た。一部は捨て、残りは角の内側に角線をハンダ付けして保管した。
 アングルは曲げたものでないと硬さがない。加工硬化が必要なのだ。例のベンダを持ってきて、t0.4板を曲げた。曲げたものをシャアで切り落として、50 mm程度のものを10本ほど作った。多少反るから、修正して使う。

 パンタ台ごと外せるように、台の下にネジを出し、屋根を貫通させた。当然パンタグラフ本体を固定するネジは余分を切り落とした。この径の超硬のドリルは持っていなかったので、普通のハイスのドリルを、ステンレス用の切削油を用いて使用した。切粉が硬く、手に刺さると痛い。すぐに始末した。このステンレスは磁石に付かない組成のものだが、切粉は付く。熱で構造が変化するのだ。強力な磁石でほとんど拾い集めることができる。

 ジャンク箱からHO用のポールが見つかった。壊れたところを修理すると使えそうだ。Sacramento Northern の一部の機関車は構内で始動時にポールを使用している。大型のパンタグラフは重く、バネ上昇ではない。空気圧で上げなければならないのだが、その圧縮空気を作るのに補助コンプレッサを始動する。その電源を取るためのものだ。一度パンタグラフが上がれば必要がなくなり、走行時には降ろしている。この写真では、ポールのネジがまだ締めてないので、傾いている。  

2017年03月27日

懸架装置

spring 板バネはすぐに用意できたが、バネ鞍その他の部品を作らねばならない。バネ鞍は扁平角パイプを見つけたので、それを輪切りにしたのち、一部を欠き取ってわずかに開き、無理矢理にフレイムにかぶせた。押出し材であるからとても硬くて都合が良い。細い孔をあけて、下から釘を差し、上で軽くハンダ付けする。その時、バネを巻くバンドも同時にくっつける。上の方は見えないので実にいい加減だ。機能すればよいので、外見には拘らない。

高速ドリル 板バネの先にはカマボコ型の部品をハンダ付けし、それに巻き付かせるバンドを作った。これらの部品は精度がないと不揃いが目立つので、全て機械加工で作った。細い薄板に小さな穴を開ける必要があり、高速ボール盤を使った。普通のボール盤では食い込んで滅茶苦茶になる。
 銘柄はSEIKOSHAの"Micro Star"である。ずいぶん前に買ったものだ。1万2千回転出るので具合が良い。高校生のころ、細いドリルを普通の電気ドリルに付けて孔をあけていたが、よく折った。それを見て、父が、
「無駄な努力だな。高速ドリルを使わないと駄目だよ。切削速度には最適域があるんだ。」
と言った。それで、中古の良品を買った。全体の上下が、カラムのボールねじ風の大きな握りを廻してできるのが気に入っている。ステンレスでも超硬のドリルで一発でOKだ。もちろん、切削油はステンレス用のものを選ぶ。ふつうのドリルビットではすぐダメになる。

 作ったバネ関係の部品をフレイムに取り付けるには長いリンクを介している。イコライザがないので、本当はこんなリンクは要らないのだが、フレイムの下の方に孔があいているので仕方がない。
 作った台枠に、軸重500 gw になるように錘を取り付け、走らせてみたところ、フログでドスドスという音をさせて通過した。合格である。ストロークは、0.7 mm程度である。軸距離が短いので、十分なのである。錘は鉛で鋳造した。鋳型は10 mm厚のバルサである。
 バルサは軟らかく弾力があるので、クランプで締めて、台の木に釘で打つと漏れない。 また、熱にも強く、焦げても強い臭いがないのが良い。

2017年03月25日

ステンレスのハンダ付け

 ステンレスの車体をハンダ付けするのは簡単である。コツとしては塩酸を多少含むフラックスを使うことだけである。塩化亜鉛だけではぬれが悪い。表面の酸化被膜が堅いのである。塩化亜鉛だけの時は、接合面をヤスって新しい面を出す必要がある。
 小さなコテでも熱が逃げないので楽に付けられる。しかも素手で持っていても熱くない。いつもは熱絶縁を考えて木片等で押さえていたが、今回はそのまま手で握って付けた。バケツに水を張ってその上で付け、終わったら即、水に漬けて冷やす。こうすれば火傷もせず、効率的である。

BlogPaint 車体に部品をイモ付けするのは簡単である。ブラス車体の時は穴を開けて部品を差し、裏から大きな鏝で留めるのがふつうであった。ステンレス車体の場合は、表面から細い55Wの鏝を添わせるだけで、完全にハンダが廻る。エアタンクの台座(t1.5ブラス板をフライスで加工)を屋根に付ける時にその方法を採ったが、実に簡単で驚いた。炭素棒の出番は、ほとんどなかった。この写真は、余分のハンダを削る前の状態である。 

 手違いで一部の部品が足らなくなった。10台分を作って配分したのだが、自分の分の妻板が無い。仲間に一人ずつ電話して問い合わせるより、作った方が早いと判断して、洋白板で作った。その時、手間を省くために、ヘッドライト穴を無くした。その結果、ヘッドライトは外に設置することになった。
 ステンレスは洋白よりも一桁以上硬いので、ステンレスの窓枠を付けておいて、それをガイドにヤスリで窓を仕上げた。実に簡単で、これは技法として使えると思った。

2017年03月23日

動力機構

 サスペンションはバネ付きでないとフログが壊れ易い。軸重は500gwであるから、硬い軸バネが必要である。Big Boy用のが見つかったので、枚数を減らして使った。

 機関車であるから、牽引力を必要とする。ステンレス車輪であるから、かなり損である。多少重くするから、バネが効いていないと壊れてしまうし、音がひどくなる。モータはエスキャップのΦ18の高級品である。これは同径では当時世界最高の起動トルクを誇った。低回転型で、模型には極めて適するが、非常に高価であった。出力を最大限に利用すべく、出力曲線をもとにギヤ比を選定した。
 設定としては 10 V で動輪がスリップするようにした。こうしておけば、焼けることはありえない。16‰の勾配を、標準貨車12輌を牽いて楽に登れる。

OBJ Drive 動軸は連動しないと牽引力が損なわれる。実物の構造に拘って、1軸1モータにするのは賢明とは言い難い。モータは水平にウォーム軸と平行に置き、チェーン・ドライヴで駆動する。このチェーンはプラスティック製で、アメリカでは40年も前から売っている。Bill Wolfer氏が使っていたので、分けてもらったのが最初だ。トルクが少ないので1本だが、出力が大きい時には2本、3本を平行掛けにして、位相を1/2歯あるいは1/3歯ずらすと効率が良くなるはずだ。これは金属製ではないので、伸びを考えたときの推論だ。 

 モータはブラスの板を巻いて作ったホルダに収めた。ホルダはギヤボックスにハンダ付けした台座にネジ留めである。長穴にしてあるので、微調整が効く。

2017年03月21日

競作

 珍しいことに電気機関車を作ることになった。50年ぶりである。チラ見せする。最近はやりの teasing advertising(じらし広告)である。  

OBJ 1 所属クラブの70周年記念例会に、伊藤剛氏追悼の電気機関車を作ろうということになった。剛氏が作られた原型を各ゲージでアレンジして、好きなように作るというのが主題である。
 Oゲージ部会では、ステンレス板をレーザで切って作ることになった。車体にレーザ加工板を使うのは初めてである。車体寸法を決めるのに、時間が掛かった。元が自由形なので、縮尺を変えるだけでは意味がない。Oゲージの車体幅は63 mmを超えると、ろくなことが無い。手摺りなどの突起物を考えると車体幅は61 mmとなった。基本設計は土橋和雄氏が担当し、工場に渡すプログラムは、例によってnortherns484氏にお願いした。


 伝導装置は筆者が設計して、提供した。強力コアレスモータと3条ウォームギヤ軸をチェーンドライブする少々贅沢な組み合わせである。車輪はΦ25のLow-Dがあったので、配布した。軸箱はフライス盤で切り出したボール・ベアリング用を用いた。ロストワックス製のものを好む人もいるので、その方達には、ボール・ベアリング用の穴を開けてお渡しした。

Sacramento Northern 654 and 652 10-3-09rr 外観は全く自由なので、筆者はアメリカン・スタイルにした。実はSacramento Northernの電機に惚れていたのである。いつか、ものにしたかったのだが、作ることはあるまい、とも思っていた。
 ジャンク箱をかき回して、カウ・キャッチャを見つけた。大きさは良いのだが、一つしかない。仕方がないので採寸して図面を描き、作る準備をした。そこまでやったところで、もう一つ見つかったので、図面は投げ捨てた。

 さて軸配置は何であろうか。BrassSolder氏は、一発で当ててしまわれた。

2017年03月19日

英語表現

 英語の記事を紹介してすぐに、質問を複数の方から戴いた。皆さん、よく見ていらっしゃるので驚いた。
 p.31の下から8行目に、
"No one was able to do what he did."
という文がある。どうしてここでcanの過去形の could を使わないのですか、というものだ。

 日本の英語教育では、canの過去形は could と習う。私もそう習ったが、アメリカで手厳しい批判を受けた。could は仮定法の時に使うものだ、と言うのだ。そんな馬鹿な、とは思ったが、確かにその通りであった。
 仮定法を英語の時間に習って、うんざりした人も多いだろうが、婉曲表現とか反語表現などの別の表記だったら分かり易いと思うのは、筆者だけだろうか。

 You could do that. は 「あなたはそれをできた。」ではない。 「できるかもしれない(けど、多分しない)。」という感じである。場合によっては、なじっているのかもしれない。

 過去の話であることが時間の関係を示す語でわかる文章なら could でよいが、そうでないときは、
I was able to do that. 私はそれができた。  
である。このことを日本の学校ではほとんど教えていないように思う。

 ついでに、よくある誤りとして、「やったね!」という誉めるときに使う言葉を、
”You could do it.” と言う人がいる。これでは「やればできるものを(どうしてやらないの?)。」になってしまう。
 正解は、”You did it."
である。 
 日本の英語教育で最も怪しいところが、この仮定法の部分である。英語教師もわかっていないと思われる節がある。 

2017年03月17日

Kimpei Sofue’s life  (9)

 祖父江氏のハンダ付けのテクニックは白眉である。常に完璧なハンダ付けをするから、彼の模型でハンダ付けが外れるということはない。 
 棚にハンダは何種類もストックがあった。また、ブラスの材料も何種類かあり、より楽にかつ、正確に工作できるものを用意していた。
 最終期の特製品には、彼独特の仕上げ加工が随所にみられる。ブラスの針金を切ると、すぐにヤスリでその断面は面取りされる。シャァで剪断加工された板は、全ての切断面をヤスリで加工して直角にする。彼は大量のヤスリを持っていた。すべてのヤスリは使用前にsafety edgeを油砥石で擦って、準備する。そうしないと、削れて欲しくないところが削れてしまうからだ。
 足踏みのシャァは完璧に研がれ、薄いティッシュの一枚を置くと、真っ二つになる。彼の工房はすべて整頓され、美しかった。

 25年前、私は再度アメリカに居て、祖父江氏の望むものを送って差し上げていた。日本に戻って、彼に会いに行った。祖父江氏はドイツの機関車のスポーク動輪の原型を作っていた。私と話をしていても、手を休めない。眼はこちらに向いているのだが、糸鋸でブラスの円盤を切り続けていた。指に目が付いているのか!と思ったほどだ。
 お茶と菓子を戴きながら話をするのだが、彼の手はテーブルの下で動いている。突然彼は、言った。
「ほら、できた!」
 彼は小さなキサゲを用い、手の感触だけでスポークの断面の丸味を付けていたのだ。

 アメリカの模型人で、祖父江氏の工房を訪ねたのは二人で、ペンシルヴァニアのBill Pierson氏と、Original Whistle Stop のFred Hill氏だけである。 

 祖父江氏はKTMで長く働いたが、要求される以上のことをしていた。それは彼のプライドである。彼は世界最高の機関車が作りたかった。そして、彼はそれを成し遂げたのである。

2017年03月15日

Kimpei Sofue’s life  (8)

 祖父江氏が亡くなる前から、彼を「O scaleの殿堂」入りをさせるべく、運動を始めた。アメリカの友人たちがそれを後押ししてくれたが、5年以上の時間を要した。存命中に殿堂入りが果たせれば、祖父江氏にとって素晴らしいことだったのだが、それは実現しなかった。
 ともかく、日本人の殿堂入り(2016)は初めてであり、日本の模型人はそれを誇りに思う。

 祖父江氏の影響力は大きく、プラスティック製機関車の上にもそれが表れている。
 RivarossiのIndiana Harbor Beltという0-8-0のOスケール・モデルをご存じだろう。それは祖父江氏の作った0-8-0を元にしている。
 祖父江氏はこう言った。
「US Hobbiesの0-8-0を作った時にね、3箇所間違えちまったんだよ。それがねえ、全部リバロッシの模型にあるんだ。本当に参っちまうよ。」
また、ブラス製HO模型のいくつかは、彼のOスケールの縮小ヴァージョンである。

 祖父江氏は3条ウォーム、ボールベアリング化の改造工事を、1000輌以上の機関車に施した。私の手元には100輌近くあり、近く開館予定の博物館で展示走行する。それらは信じられないほど滑らかでパワフルである。ギヤは15ワットの出力を伝達でき、強力なコアレスモータで120輌の列車をやすやすと牽引する。

2017年03月13日

Kimpei Sofue’s life  (7)

 国内で祖父江氏のOゲージ模型を欲しがる人は多かったが、祖父江氏には新規にそれを作る資力がない。そこで、神戸の地震で亡くなった魚田真一郎氏が良い方法を提案した。買いたい人から毎月一定額を集めて、それで新しい機関車を作ってもらう。1年ほどで、注文者は新しい機関車を受け取り、祖父江氏は注文数以上の機関車を個人的に売ることができる。一部はアメリカに私自身が持って行ったし、直送もした。この方法は祖父江氏に素晴らしい機関車を作り続けてもらう、良い方法だった。

 こうしてできた機関車は3条ウォームとボールベアリングを装備し、テンダには抵抗の少ないLow-D車輪を付けていた。こうしてこの特製品を作る方法は10年ほど稼動し、C&NW H-1, CB&Q O-5, SP5000, ATSF 4-6-4, PRR DD1 が完成した。それと並行して、古いKTM製の機関車の動力を、3条ウォーム、コアレスモータ、ボールベアリング化する改装工事を引き受けた。こうして2009年10月27日午前2時の突然の死まで、彼は仕事を続けることができた。彼は87歳の人生を終えた。

 私は彼と35年余の長きに亘って良い友達であった。私は彼の顧客であるが、写真、図面を入手するのに手を尽くした。それ以外に新技術の導入の手伝いをした。いわゆるlaunching costomerである。(ローンチング・カスタマーというのは、新型航空機を発注して導入する会社が、設計時から深くかかわる時、その航空会社のことを言う。)我々はいつも助け合った。ある時、祖父江氏はこう言った。
「あんたには本当に感謝するよ。あんたがいなけりゃ、俺はとっくに廃業して、アル中になって逝っちまってたよ。」 
 私は彼の友達として、かくも長くお付き合いできたことを、誇りに思う。 

2017年03月11日

Kimpei Sofue’s life  (6)

 次に、私の友人であるUnion Pacific鉄道の機関士Tom Harveyに会いに行った。トムはBig Boy、Challengerおよび4-8-4を運転したのだ。 Cheyenneの機関庫に行って、保存機となっているそれらを見せてもらった。祖父江氏はビッグボーイに強い興味を示した。彼はすでに1000輌近く、その模型を作っていたのだが、それらをはるかに凌ぐSuper Big Boyを作ってみたかった。そこでDenverのForny Museumに行って、写真を撮った。その頃は、機関車に登って上から写真を撮ることが許されていたので、すべての蓋を開けて内部を撮ることができた。

 1987年に、あるスポンサーが現れた。その人は株を売買していた。スーパー・ビッグボーイ を発注したのだ。ところが、彼は総費用の半分を払ったところで倒産してしまったのだ。祖父江氏は経済的に多大な被害を受けたが、30輌を完成させた。

 1990年になると、アメリカの輸入業者は日本からの輸入をやめてしまった。祖父江氏は、いよいよ窮地に追い詰められた。私は彼を助けるため、日本国内の裕福な友人を紹介すると、1番ゲージのドイツの機関車の手作りをすることになった。製品はぞくぞくするほど素晴らしい出来であった。たいていは3輌、時に5輌、10輌という生産であった。しかし彼は幸せではなかった。

 彼はOゲージを作りたかった。彼曰く、「Oゲージは正しいサイズだ。1番ゲージは大き過ぎて、片手で持つには大きすぎる。 HOはメカニズムを楽しむには小さ過ぎる。」

2017年03月09日

Kimpei Sofue’s life  (5)

 そして、ミルウォーキィで開かれたNMRA(全国鉄道模型協会)のコンヴェンションに行き、我々の”押して動く機関車”を披露した。かなり劇的な展開であった。いくつかの注文を受けることができたし、あるアメリカ人は日本に来て、UPの4-8-4を輸入したいと言ってきた。それはKTMーUSAという名前で輸入された。
 その機関車はそのころまでの模型とは全く異なり、3条ウォーム・ギヤ、コアレスモータと素晴らしいディテールを持っていた。写真で、煙室内部を示した。

 それが終わると、デトロイトのDick Tomlinsonのところに泊めてもらった。彼は70年代にデトロイト模型鉄道クラブの会長であった。彼はアレゲニィを私たちに見せるために、ヘンリィ・フォード博物館に連れて行ってくれた。祖父江氏はこの機関車を300輌以上作っていた。彼は一箇所を除き、その全てを知っていた。その一箇所とは、パイロットの上の小さなステップの上面である。滑り止めのパターンがどうなっているかを知りたかった。ディックは警官で、仲の良い友達が博物館の警備主任であった。彼は警備主任に、機関車に上っても良いという、特別許可を出すよう頼んでくれたのだ。

 祖父江氏の勘は当たっていた。その面は祖父江氏に手に入るいかなる写真でも見ることができなかったのだ。ところが、10秒もしないうちに、笛を吹きながら警備員が走って来た。
「降りろ、このクソッタレ。降りろ。」
「私たちは特別許可を得ている。」と答えると、
「黙れ、降りて来い。逮捕する。」と警備員が怒鳴った。
 警備主任が、「もういい。行きたまえ。」と言ってくれたので、我々は何もされなかった。

2017年03月07日

Kimpei Sofue’s life  (4)

 祖父江氏は1985年までアメリカに行ったことが無かった。日本とアメリカの経済の関係が変化し始めたころで、為替レートが日本からの輸出に不利な状態になった。アメリカの輸入業者は、日本から韓国へと切替え始めた。
 そこで、私は祖父江氏をアメリカに連れて行き、友人らに会わせた。アメリカの模型人は誰も、この小さな男が14,000輌もの機関車を作ったとは知らなかった。

 Bill Wolfer氏はとても驚き、話は尽きなかった。彼はPomonaの競馬場にあるOスケールのレイアウトを見せに連れていってくれた。そこにはビッグボーイ 、UP9000, SP5000などの本物もあった。祖父江氏はSP5000の模型を作ったことがあった。本物を見ての感想は、「俺の作ったのと同じだ。よく出来てた。これを見て安心したよ。」であった。彼は自分の作ったものが実物通りであったことを知って、とても喜んだ。マックス・グレイはこの機関車の図面を用意できなかったのだ。20枚ほどの写真と諸元だけしか寄こさなかったのだ。祖父江氏はそれらの資料から作らねばならないので、1月ほど死に物狂いで取り組んだ。彼の作った機関車の中で、最も難しいものであったそうだ。
 
 次にテキサス州サン・アントニオのLorell Joiner氏に会った。彼は祖父江氏に会って、とても感銘を受けたようだ。日本に帰らず、ここに居てくれと言った。家と日本食のコックを用意してくれると言うのだ。
 ジョイナ氏は、模型会社を立ち上げるつもりだった。私も残して、通訳と経営をさせようとした。3人で長い時間話したが、結局我々はその話をお断りした。もし残ってジョイナ氏の下で仕事をしていれば、おそらく模型界はかなり変わった姿になっていただろうと思う。

2017年03月05日

Kimpei Sofue's life  (3)

 資料が少ないので、出来の悪い模型しかできなかった。良い模型を作ろうとすれば、図面が必要なのだ。カリフォルニアから来た男が、祖父江氏にたった一枚のシェイの写真を見せて、それを作ってくれと頼んだ。写真はエンジン側だけで、反対側の情報はないが、祖父江氏はドライヴ・シャフトの裏にウォーム・ギヤを隠して、なんとかそれを作り上げた。発注者はとても嬉しそうだった。

 1年後、ある紳士がKTMに来て、Bシェイを多数注文した。彼の名前はマックス・グレイであった。これがKTMが商業規模の対米輸出をするきっかけとなった。次の注文はSPのキャブ・フォワードであった。マックス・グレイは本物の図面を持って来た。祖父江氏にとって、アメリカの機関車の図面を見るのは初めてであった。マックス・グレイは次の注文のための、いくつかの図面も持って来た。祖父江氏はマックスグレイのためにパイロット・モデルを作るのに忙しかった。

 祖父江氏は英語ができなかった。KTMはマックス・グレイと祖父江氏の前で何度も話をするのだが、一度も紹介されたことが無い。彼は、誰が職人の長(master craftsman)であるかということを知らなかった。KTMにとっては、祖父江氏は「金の卵を産むニワトリ」であった。もしマックス・グレイがそれを知ったなら、彼は何としても祖父江氏をアメリカに連れて行ってしまっただろう。 祖父江氏はマックス・グレイと直接話ができなくて残念であった。マックス・グレイはNYCが好きで、それがハドソンやナイアガラを何度も再生産した理由である。

 60年代の終わりに、祖父江氏は独立して工場を持ち、KTMからの注文を受けた。マックス・グレイはレヴォン・ケマルヤンを連れて来た。彼はその後、後継者となり、その会社はUS Hobbiesである。ケマルヤン氏はいい男で、発注したL&NのバークシャのBig Emmaを見て、「とてもよくできている」と祖父江氏を褒めた。


2017年03月03日

Kimpei Sofue’s life  (2)

 祖父江氏は1922年、東京に生まれた。父親は建具職人であった。父方の伯父は日本刀の鞘を作る職人であった。祖父江氏は中学校時代からブラスの切れ端で蒸気機関車を作っていた。科学雑誌を見て知識を得、駅で本物を見てメカニズムを理解した。
 彼は本物の機関車の部品を作る工場に就職した。速度計、インジェクタ、自動逆転器、汽笛、ベル(満鉄の機関車用)などを作った。そして会社の中の学校に通う許可を得た。そこでは図面の描き方、機械工学を習った。これが彼の作る機関車が他と違う理由である。
 戦争中は軍艦の部品を作る工場で働いた。彼の技量は傑出していて、兵役を免除された。他の誰も彼の代わりができなかったのである。戦争中でさえも、彼は小さな機関車を作っていたという。(訳者注 3台作ったが、戦後の混乱期にGIに売って食べるものになったそうである。)

 戦後、日本は連合軍によって占領された。彼はKTMで工場長として働き始めた。KTMはもともとはゴム動力の飛行機模型を売っていた。たくさんの兵隊が、彼に機関車の模型を作るように頼んだ。写真を数枚と、車輪径などの諸元しか寄こさなかったが、彼は1週間に1輌!ほどの速さで作った。
 ある将校がKTMにロボゥの機関車を持ってきて、そのコピィを作ってくれと言った。ロボゥは素晴らしい模型メーカで、いくつかのアイデアはKTMによって使われた。たとえば、先台車のセンタピンは長いネジで、シリンダ・ブロックを貫通してボイラを留めた。また、KTMのモータはロボゥの形を真似ている。

 東京の立川基地の格納庫の天井裏にはなかなか良いOスケールのレイアウトがあった。祖父江氏は背が低くて見えなかったので、誰かが肩車をして、見せてくれた。それは15メートル角くらいの大きさで、素晴らしい出来だった。そこには祖父江氏の機関車が走っていた。その場所には何度か連れて行ってもらった。

2017年03月01日

Kimpei Sofue’s life  (1)

日本語版を発表してくれという要望が多いので、しばらく連載することにした。

     祖父江欣平氏の生涯

           マックス・グレイに機関車を作った男
 
 70年代の中ごろ、アメリカで見るHO、Oの機関車は、ほとんどすべてが日本製であった。日本で誰が作っているのか、全く見当もつかなかった。 
 日本に帰ってから、友人がHOのいろいろな製造所で機関車の図面を描いていたという老人を紹介した。(訳者註  椙山氏が酒井喜房氏を紹介してくれたのだ。) 彼曰く、「祖父江さんに会うべきです。その人がKTMのOゲージの機関車を作っている、まさにその人ですよ。」
 私は、たった一人の人がKTMのほとんどのOゲージ機関車を作っていると聞き、とても驚いた。Oゲージのみならず、その設計がHOの機関車にも使われていたという。私は東京の郊外の田舎にある祖父江氏の工場を訪問してみようと思った。

 彼の工場は小さく、6 m X11 m ほどの作業場であった。3台の旋盤のうち1台は中型、残りは小型である。足踏みプレスが2台、型削り盤が1台、縦フライス、横フライス各1台、足踏みシャア1台、コンタマシン(いわゆる縦型帯鋸)、ボール盤数台とタッピングマシン2台があった。一角には簡単な鍛冶屋をする場所があった。ほとんどの特別な刃物はここで自作して焼きを入れていた。一番大きな機械は湿式研削盤である。これは自製のプレス型を研削して平面にする装置だ。

 3,4人の女性が主としてハンダ付けをしていた。祖父江氏は彼女らに組み立てさせる”キット”を作っていたのである。もちろん奥さんも手伝っていた。私が彼女らのハンダ付けを見ていたら、祖父江氏は聞いた。
「あんたはハンダ付けはできるかい?」
「もちろんできます。」と答えたので、私がハンダ付けする準備をしてくれた。

「駄目だ。」と彼は長いブラスの棒(断面は 3 mm X 25 mm)で、私の手首をぴしゃりと叩いた。「そんなんじゃ駄目だね。」と、彼は肘を机の端に付ける方法をやって見せてくれた。(次ページの私が鋼製トラス橋をハンダ付けしている写真を参照されたい。)これが、強い圧力を掛けながら鏝先を正確に制御するコツなのだ。
 彼が言うには、ハンダ付けは温度だけではなく、圧力で出来るのだ。熱い鏝はたくさんの熱量を持ち、先端には平らな面がある。押し付けると、熱エネルギィは短時間にワークになだれ込むのだ。私は練習生で、彼は厳しい教官であった。私は彼のところによく通って、模型の作り方を習った。 

2017年02月27日

祖父江欣平氏の生涯

 OSRの最新号が出たKimpei Sofue。かねてより依頼のあった祖父江氏の生涯について書いた。いつか発表するつもりで祖父江氏の生涯について書いておいたものを、投稿した。1999年にワープロで打って、ご本人に修正して戴いたものだ。直筆での添削が入っているから、今となっては貴重なものである。博物館で保存する。

 英語訳は何回も書き直した。「もしこうだったならば、このようになっていただろう。」という仮定法過去完了の表現が必要であったので、堅苦しいがお許し願いたい。ほとんど書いたとおりに出てしまった。編集者による添削を期待していたのだが、そのままでよいということになった。

 "a stag at bay" という表現があるが、「いよいよ追い詰められた」という意味である。これは、過去の人生で2回しか使ったことが無い表現だ。この表現は編集者に褒められた。

 写真を探して、表情の良いものを選んだ。工場の様子はあまり生々しいものは避け、半製品が積まれている様子を載せた。
 14,000輌もの機関車を数人で作っていたのだ。ハンダ付け、小さな旋盤仕事などはアルバイトの女工さんがしていた。祖父江氏は彼女らに組ませるキットを作っていたのだ。この14,000という数字は、聞いた人が誰しも驚く数字だ。 


 編集者は、
「とてもすばらしい。読んで、ためになる。多くの人たちがこの話を喜んで読むだろう。もしこの歴史を貴方が書いてくれなかったなら、誰も知らずに終わってしまっただろう。」
と書いてきた。

 思った以上の反応でうれしい。

2017年02月25日

顔料

UP caboose このところ、黄色塗料の使用頻度が多い。この色だけは、フロクイルの塗料に敵うものはない。隠蔽力が抜群である。一回塗りで、下地の色を完全に隠せる。
 隠蔽力は、顔料粒子の屈折率の大きさに関係がある。ダイヤモンドが良く輝くのと同じで、屈折率が高いものは隠ぺい力が高い。この色は硫化カドミウムの色である。カドミウム・イエロゥだ。クロム・イエロゥ(クロム酸鉛)とは少し色調が異なる。

 最近カドミウムに対する風当たりが強く、多分そのせいでフロクイルは廃業してしまった。飲むものではないのだから、問題ないのだが、風評というのは恐ろしい。化学への理解がない人はカドミウムという言葉だけで悪いものと決めつけている。硫化カドミウムはほとんど水に溶けない。
 こう書くと、「少しは溶けるのではないか」と勢いづく、いわゆる自称環境保護派の人が多いが、その程度の濃度は生物にはむしろ必要な濃度である。カドミウムは人類にとって不可欠元素であることを知らないのだ。これはカルシウムの代謝に大いに関係がある。カドミウム濃度が高いと、異常を起こし、骨折の原因になる。これがイタイイタイ病であった。
 それはカドミウムイオンが水に溶ける形で流出したことによるものであって、硫化カドミウムとは直接関係がない。硫化カドミウムは酸にも溶けにくいので、酸性雨の降る環境でも安全である。厳密にカドミウムを制限するのならば、道路の黄色の線にも硫化カドミウムを使うことを反対するべきなのに、それは誰もしない。ドイツはそうしているらしいが、結果として間違っている。 

ATO-912-1-2 次はこれを塗ろうと思っている。この写真はAtlas社のカタログからお借りしている。デカルはかねてより用意してある。他にも5台のゴンドラ(無蓋車)が待っている。 

2017年02月23日

Rutland

Rut Land これは、Rutland の貨車である。このつづりは発音しにくい。椙山 満氏が 、
「これはルートランドではありません。ラットランドです。dda40x君、ちょっと発音してくれませんか。」と仰るので、やって見せた。
「単なる『ラ』ではなく、最初に僅かに『ウ』を付けて、『ラトラン』と言えば良いです。ランドの方はLの音ですから、舌を上の歯に当てるようにします。 」と答えると、何回も発音練習をしていらしたことを思い出す。
  印象に残っていたので、デカルを買ってしまった。デカルは30年以上も経って劣化が進み、補修材を塗って再生した。緑の色がなかなか難しい。BNの緑とも違う。Vermont州の新緑の緑だそうだ。
 Vermont は緑の山という意味だから、この色はかなり正確に合わせた。 デカルとほぼ同じ色である。

 ラトランド鉄道には、比較的小型のテンホィーラ、コンソリ、ミカド、パシフィックなどがたくさんいた。椙山氏はこの鉄道のデカルをいくつか購入し、客貨車にも貼っていらした。
 それもあって、ラトランドの町には興味があり、行ったことがある。ニューヨークの東北東 約400kmにある小さな町で、中心街はヨーロッパの街並みのようである。
 大理石の産地であり、鉄道で積み出した。NYC ニューヨーク・セントラルの傘下に入っている。




2017年02月21日

50-ft PFE's   

PFE2PFE 懸案のPFEのreefer 2輌を塗った。ブラス製であって重い。筆者はこれらの実物車輛が走っているところを見たことが無い。既に70年代には氷を積む冷蔵車は無くなったが、まだあちこちに氷の積み込み用プラットフォームが壊されずに残っていた。走っているのはmechanical reeferばかりであった。それらは、砂漠の中で停車中に冷凍機を廻し、大きな音を立てていた。

 氷冷式のものは、たまに側線に打ち捨てられているのがあったが、50 ftの車輛は見たことがない。比較的少なかったし、製造時期が戦前に限られたからであるように思う。
 PFE Pacific Fruits Express の色は黄色、またはオレンジであった。屋根の色は銀もあれば、茶色、黒色などさまざまであった。濃い色は熱を吸収しやすいから損ではないかと思った。最近は色が濃くても、赤外線をよく反射する塗料があるようだ。 

 茶色の屋根のほうは、比較的古い塗装で戦前戦中の時代である。こちら側のヘラルドがSPであると、反対側はUPであった。1輌だけでは感じがつかみにくいが、たくさんつなげば、UP, SP両方が同じ確率で見える筈である。PFEはUPとSPの共同出資の会社であるからだ。

 銀の屋根の時代になると、2種のヘラルドを並べて貼るようになった。
 この貨車はパイオニア製で、出来が良いとは言えない。ハンダ付けが下手で、部品が脱落して来る。全部の部品のハンダを調べると、2割くらいの付きが悪い。すべて、やり直すことになる。
 重い貨車であって、軽衝突に耐えねばならない。 


2017年02月19日

続 Athearnの貨車を作る

NYC jade green この貨車は2輌ある。どちらも色が合わない。写真に示したものは、より色が合わない方である。全くどうしょうもないほど色が異なる。

 はじめはドアだけを塗ってみたのだが、友人が、「ドアは違う色に塗ってあるのだね。」と言うので、観念した。仕方がないのですべてマスキングして、ヘラルドと文字の部分だけ隠した。全体にフロクイルの NYC Jade Green を塗った。jadeとは翡翠(ひすい)のことである。こんな色の翡翠を見たことがある。

マスキングを剥がすと、それらしく塗れている。文字の部分は元の色が見えているが、このような塗り方(補修塗り)を見たことがあるので良しとした。 

 筆者はこの色の車輌を見たことがある。すでにPennsylvania 鉄道と合併してPenn Centralになった時代だ。破たん直後のひどい時代であった。一部は少し黄色の多い緑のPenn Central Greenに塗られていたが、Jade Green の塗りの車輌も生き残っていた。 

 当時、既に本物はかなり塗装が傷んでいたが、いつか塗ってみようと、塗料とデカルは買っておいた。デカルは近々カブースを塗るから、それに使う予定だ。この緑にしたいが、残念ながら木造カブースで、赤にせざるを得ない。 

2017年02月17日

Athearn の貨車を作る

UP boxcarMP boxcar 作りかけで放置されていたアサンの貨車群に細かい部品を付け、当鉄道仕様の造作を付けた。これらの貨車は、木製の骨組(箱状)にブラス板を貼り付ける工法で出来ている。1輌当たり100 gほど補重して、完成だ。先日の会合に新車をたくさん持って行くと約束したので、先月から毎日1時間をそれに振り向けていた。13輌出来た。これでようやく、作りかけのアサンは一掃された。延べ、50輌以上あるだろう。完全な金属製ではないが、耐久性があり、好きな車輛群である。持った時、全金属製のように冷たいのが良い。

 塗装が問題である。この貨車群のキットでは、側板は塗装済みで文字が印刷されている。それを生かさねばならないので、組み立てたら文字の部分だけマスクして塗装する。フロクイル塗料が指定されているので色が合うはずだが、実際には合わないし、艶が異なる。近い色であれば、ウェザリングすればごまかせるのかもしれない。昔聞いた話では、取り付ける部品をすべて塗装しておいてから、組み立てるという。やってみると、それはできないことに気が付く。部品の穴が全く合わないのだ。すべてハンダ付けするか、接着剤で取付けておいてからマスキングするしかない。先日のEJ&Eも同じである。 
 上の2輌の色は合っていると言える。同じ番号を避けるため、一文字消してデカールを貼る。

ATSF boxcarEL boxcarSCL boxcar 新しいboxcar red の瓶を開け、少し塗って色の合うものを先に塗る。合わない物には少しずつ他の色を足して色調を見る。合えば大したものである。これら3輌は運良く調色が成功したものだ。tuscan red と engine blackを僅かに足している。 

NKP BoxcarCB&Q boxcar everywhere west 努力の甲斐なく、合わないものもある。しかし実物もこれと同じような色調違いのものもある。文字部分だけをマスクして再塗装した場合だ。気にしない人はそれでも良いだろう。

2017年02月15日

EJ&Eのboxcar

EJ&E2 この貨車の色について画材屋で調べたところ、ぴったりの色があった。
 viridianは緑の顔料である。水酸化クロムのことだ。クロムと言っても、3価クロムで、安全である。
 昔のペンキの顔料は特定の色しかない。それを混ぜて使うこともあるが、概してそのままを塗っていた。南海電車の緑は、まさにこの色である。

EJ&E ビリジアンの顔料を手に入れなければならない。なければ作るつもりだったが、友人が「『ガイアカラー』という塗料は純色と言っている。要するに単色の顔料だけの塗料ではないか。」と言う。
 早速買ってきた。試し塗りをすると近い色だ。修正を施す必要はなく、そのまま塗っても良い範囲にあると結論した。

 思い切って既存の文字、図案だけをマスクして塗った。結果は上々で、艶だけが異なる。
 後で適当に艶を消し、軽いウェザリングを施せば、十分である。Harmonのところから来たときは、どうなるものかと心配したが、意外と簡単な方法で解決した。
 本物の色はかなり褪せて、白く見える。それもよいかもしれない。この貨車が、当鉄道で最後のアサンの貨車である。厳密にいうとAthearnタイプである。製造はシカゴのオール・ネイションである。この種の模型は戦前からあったのだが、それを洗練した形にまとめたのがアサンである。
 木箱の表面(屋根、妻、側面)に薄いブラスの板を貼り付けて作られている。触ると冷たくて、金属の触感がある。木箱はすべて長持ちするエポキシ樹脂で固めてあるから、100年以上持つであろう。もともとの設計では側板などを細い釘で留めるようになっているが、徐々に緩むことが多いので、スーパーXで貼り付けてある。十分な補重がしてあるので、走りは重厚である。 

 EJ&EはElgin, Joliet and Eastern鉄道である。シカゴの内部を通らず回り道をすれば、却って早く着くという路線だ。Harmonにとっては思い出深い鉄道であったと思う。だからこそ早く色を塗って、奥さんに報告したかったのだ。上記リンクの写真は昔の色の機関車で、現在はオレンジ一色である。

2017年02月13日

Western Pacific鉄道の貨車

WP boxcar これはウェスタン・パシフィックの貨車である。当鉄道にはWPの貨車は比較的多い。どれも羽根のマークが付いている。走っている谷がFeather Riverであるから、それを売りにしているが、「羽根のような乗り心地」というのは誇大広告であろう。差はないはずだ。
 DF; damage freeを売り物にしている。この貨車には熱絶縁がしてあり、冷たいビールなどをぎっしり入れると3日程は冷たいそうだ。積荷が崩れないように、荷室内部にbulkhead 隔壁を取り付けられる。そうすればハンプで突放しても被害がないという。
 この貨車はアサンではない。旧アトラスの色なしのプラスティック・キットから作った。すべての部品を外し、今様の作りにした。かなりの手間を掛けている。元のキットのダメなところはすべて更新した。床下と屋根を作り替え、側面、妻も手を加えている。一度に複数を仕上げた。WPのデカルは各種持っていたが、この際すべて使ってしまった。もうWPを作ることはないだろう。

 こういう仕事はレイアウトの工事で疲れたときに、帰宅前の1時間をそれに振り向けている。この作業をしながら、レイアウトの工事を反省し、次の日の予定を立てる。 

 転車台の設計を少し変更した。より確実なインデックスができるようになる。時間を掛ければいくつか思いつくことがある。焦らずやりたい。 

追記
 奇しくも、この沿線であるOroville のダム が決壊の危機にあるというニュースが入っている。もし決壊すればこの鉄道は流されてしまうであろう位置にある。

2017年02月11日

続 express

 高速台車を付けたboxcarは各種ある。中にはとんでもないデザインの台車もあるのだ。Mainline Modeler誌の1989年5月号にこんな写真がある。

Rock Island espress boxcar  これは内側台車だ。どういうわけでこのような台車を採用したのかがわからない。作るのは簡単だが、もう少し細かいところがわからないと間が抜けてしまう。ブレーキ装置があるはずだが、リンク機構が不明だ。

 Amtrakの客車に似たようなものがある。地下鉄の車輛にも同様のものがあるが、これははたしてどうなっているのであろうか。
 内側台車は軸の太いところを支持するので、模型の場合は抵抗が大きい。ボールベアリングを使ったとしても損失が大きく、惰行が少ないだろう。
 細い軸を使った構造にしなければならず、苦労しても得られるものは少なそうだ。

 Allied Fullcushion Truckの採用例の写真が載っている。
Rock Island espress boxcars おそらく、落成時の写真であろう。汚れていない。台車の色が明るい。どんな色だったのだろう。1945年のことである。
 この台車は数年もすると、様々な問題が起き、脱線の原因を作ったと言われている。急速に廃れてしまった。個人的には好きな台車であるが、模型を見ることも少ない。

2017年02月09日

express

RI express boxcar 少々難し過ぎたようだ。これはRock Island鉄道の express boxcar である。椙山 満氏が、
「ロックアイランドには、蒸気暖房配管のない小荷物車があるんですよ。」
と仰って、この写真を見せてくれた。
「色はプルマングリーンです。列車の最後に付けるから、蒸気の管がないのです。」
とのことであった。その写真はMainline Modeler誌にも載っているのを見つけた。
 椙山氏はロックアイランド鉄道がお好きで、研究していらした。
「ロックアイランドには大きな兵器工場があるのですよ。シカゴから数時間で行けるところに、そういう重要な工場があるのですね。」
と解説してくださった。

”Express”という言葉は、単に「急行」と訳してしまう場合が多いが、本来の意味は手小荷物を急送するシステムのことである。日本語に置き換えると、飛脚便のようなものである。列車に急行の意味でつかわれたのは、ずっと後であるはずだ。 

 それが為替業務も行うようになり、電信の開通と共に米大陸横断の金融業になってしまったものもある。ウェルズ・ファーゴ銀行やアメリカン・エキスプレスがそれである。荷物運送会社にFedexがある。フェデラル・エクスプレスであり、これは元の意味が生きているが、創業は1970年代である。いつも思うことであるが、Federalという言葉は、南北戦争の北軍を表す言葉だ。Fedexの会社はTennesee州Menphisにある。これは南軍の地域である。

2017年02月07日

続々 Lobaughの台車

Lobaugh bolster2Lobaugh bolster ロボゥのボルスタはこんな格好をしている。1 mmほどの薄い板である。ブラスの板をプレスで押し曲げて、加工硬化させている。日本の鉄道模型はどうしてこれを真似しなかったのだろう。薄い板でも剛性があり、へたらない。台車枠には2-56のネジ(2.1mm)が切ってあり、段付きワッシャをかませて締める。筆者としてはこの段付きワッシャにネジを通して締めるのは気に食わない。1本のネジで2つのものを締めることになるからだ。ネジは1本で一つを締めるというのが常識である。ばらす時、パラリと部品が落ちる。韓国製の模型はもっとひどく、一つのネジで4つを締めているものがあった。
 やはり、段付きネジを使うのが筋だ。

 現代のボルスタ高さから、かなりずれているので、高さを調整した上でセンタピン孔をあけている。 場合によってはボルスタを上下逆にして、厚板を貼って使うこともある。この貨車はその方法を採用した。

 さて、前々回のクイズはいかがであろうか。かなり近い答を寄せられた方もあるが、まだ正解者はいない。その種の高速貨車は、蒸気暖房の配管を持っている場合が大半だが、これはそうではない。その理由も含めて次回発表とする。

糸鋸台 糸鋸台は仲間内では大変評判がよく、欲しがる人が多いので、材料を切ってキットの形にした。いつも手伝いに来て下さる方へのお土産だ。すぐ組み立てて持っていらっしゃるので、ベルトサンダで角を落とすと完成だ。
 博物館のオリジナル商品にすれば良いという意見も戴いている。

2017年02月05日

続 Lobaughの台車

 ロボゥの台車は造形は良いのだが、如何せん古すぎる。しかし手を加えて黒く塗れば、遠くからなら何とか我慢できる。走行性能は素晴らしい。ボルスタがへたらない構造になっているので、台車枠が平行を保つのである。

UP caboosecaboose truck このUPカブースは1960年代に安達製作所で作られ、カツミが輸出したものだ。多少の間違いはあるが、それも愛嬌で、我慢している。作りがしっかりしていて、多少の衝突には十分耐える。台車込みで550 gもあるので、ボールベアリングを入れた。
 以前はベッテンドルフを付けていたが、この時代の台車はイコライザ付きであるから取り替えたかった。韓国製でその商品が出るまでは、ロボゥが唯一の製品であった。それがこれである。 
 文鎮の縁を整形して、孔をあけ、余分をすべて糸鋸で抜く。端の細い部分も中身が詰まっていたので、三角を切り抜くと多少すっきりした。コイルバネも切り落とし、ヤスリを掛ける。そこに、細いコイルバネを接着する。そうすると、バネが効くように見えるらしい。
 友人に見せると、車体を下に押し付けながら、「オッ、バネが効いているね。」と言うから面白い。視覚というものは脳に強く働きかけるのだ。

 Barber Bettendorf caboose trucksこの台車は、カブース用のBarber Bettendorf swing motion truck である。本物は揺れ枕が付き、緩衝性のある板バネを持つ高級台車だ。そうでないとカブースの乗務員は車体が飛び跳ねて、どうにかなってしまうだろう。NYCのカブースに使う予定だ。これもボールベアリングを入れた。そのカブースが、これまた重いのだ。  


painting 前回の問題の、鉄道名は2つほど候補があるが、この写真をご覧になれば一つに絞られるだろう。左手前のプルマン・グリーンの貨車である。
 さていかがであろうか。



2017年02月03日

Lobaugh の台車

 地下室の整理をしていると、昔買い溜めした様々な部品が出てくる。Lobaughの台車が10組ほど見つかった。当時はかなり高い買い物であったが、現在ではもうゴミの一歩手前である。
 何がいけないかというと、ロボゥの台車は砲金の砂鋳物で、現在の標準的細密度からはかなり遅れている。日本製の鋳物より、抜き勾配が緩く、文鎮のような感じである。

 抜き勾配というのは、砂型鋳物を作る際、砂型から型を抜きやすくするために、断面が台形になっていることを言う。英語では draft angle という。要するに「引き抜き角」だ。
 もちろん上が広く、下が狭い。すなわち、台車の表面より、裏側の面積がずっと大きいというわけである。これは許せない。ヤスリで垂直になるよう落としてしまうのだが、大変な手間である。ベルトサンダを使うと数秒で完了だ。 特に上のエッジは大切だ。下は見えないこともあるから、ごく適当である。

Allied Fullcusion trucks このAllied Full Cushion台車は長年探していて、数年前に見つけたものだ。手に取った瞬間、やる気が失せるほどひどいものであった。抜き勾配を削り、孔をあけ、糸鋸で三角の穴を切り抜く。凄まじい手間を掛けて、ここまで来た。元の文鎮のような鈍さが消えて、遠目には十分フルクッション台車に見える。 ピヴォット軸受を構成しようと思ったが、テーパ穴を作る工具の切れ味が悪くあきらめた。テフロン・コーティングの樹脂製スリーブも入れてみたが、それほど感心しなかった。残るはボールベアリングである。
 この貨車はかなり重く、460 gほどある。軸重100 gを越えるとボールベアリングの効果が目に見えるようになる。 早速、座繰りドリルで孔を拡げ、装着した。

 さて、この貨車はどこの鉄道に属するのであろうか。これがすぐわかった方は、かなりのアメリカ鉄道ファンである。昔、椙山満氏が、この貨車のことを話されたので、どうしても作りたかったのだ。 

2017年02月01日

客車ヤードの延長

passenger car yard2passenger car yard 我が家の地下室倉庫の発掘調査もほぼ終わり、客貨車の在庫を把握できた。あと70輌くらいだという確証を得た。客車の数が意外と多かった。客車ヤードは今の長さではとても足らないので延長工事をしている。一本当たりの長さが増えれば、本数が少なくても、やって行けるとみた。

passenger car yard3 25 mm厚合板を切って作るのだが、また無駄になる部分が最小になるように切り方を工夫し、ほとんど捨てることが無いようにした。ただ、900 mm幅の板から、500 mm幅の曲線を切り出し、その残材を回収して有効利用するわけだから、幅300 mmがせいぜいだ。
 つまり、延長分は5線の途中で狭くなって3線になるが十分だろう。14輌、16輌編成1本ずつと20輌編成3本が入る。これ以上客車が増えないと有難い。
road bed support 路盤取り付けは、既に物がたくさん置いてあるので、熔接は避けたい。鉄骨を熔接したものを、タッピング・スクリュウで留める。
 下穴なしでもできるのだが、細い穴があけてあれば、すんなり入ってずれることもない。


 すじかい付きの梁を鉄工所で作って貰ったので、工事は簡単だ。ただ、レーザの水準器をお返ししてしまったあとなので、またもトランシットを持ってきて、覗いて水平を出した。上下方向、傾きを調べるので、大変な手間である。4人がかりの仕事であった。
 幸い、助っ人がいる時にお願いしたので、比較的短時間で取り付けることができた。レーザ水準器があれば、一人でもできただろう。


2017年01月30日

続々 tank cars

Roma Wine このタンク車は別の銘柄の塗装だ。友人から譲り受けた。少々ウェザリングが効きすぎている。この種の貨車は短距離を往復するだけであり、また、会社の看板でもあるので少しは綺麗にしているはずだ。 

 ワインタンカーは圧力が掛かるものではないので、隔壁は平板であるはずだ。骨くらいはあるかもしれない。内側は glass lining してある。グラス・ライニングとは低融点ガラス膜をタンク内に付けたものだ。いわゆる琺瑯引きである。鉄板と内容物が直接接触しないから、ワインなどには適する。

 中身を出す時は空気抜き弁を開く。空気抜き弁はドームの横にある。ドームおよびタンクボディは熱絶縁してある。そうでないと輸送途中にワインが煮えてしまうだろう。 

 博物館で貨物列車を友人に見せたところ、この貨車を目ざとく見つけ、
「石油と同じで、貨車で運ぶのか!」 
 と驚いていた。実際はワイン専用列車があったらしい。それほど長くないとはいえども20輌くらいはあったろう。
 

2017年01月28日

続 tank cars

wine tank car この貨車はワイン専用である。当鉄道では2輌目の導入だ。 ミズーリ州カンザス・シティのワイン工場の専用貨車である。
 当時はトラック輸送よりも鉄道輸送の方が多かったようだ。

 このタンク車はThomasのキットで、随分古いものだ。おそらく1950年代の物だろう。 手を加えて、今様に改造してある。

 この貨車を見て、中身も入っていなければ面白くないという人は多い。ガラス細工でタンク車を作ってみたいものだ。実は筆者はガラス細工は得意である。最近やっていないから腕が落ちたかもしれないが、昔は実験装置はすべて自作した。頼むと高いし、思うものがなかったからだ。

 このタンク車は6槽になっている。どうしてこのような小分けになっているのだろう。6種も運ぶのだろうか。
 ある人が、「それは量によるからだ。なるべく、上の方の空気が少なくなるようにして運びたいので、細かく分けたほうが得なんだよ。」
と教えてくれた。納得のいく説明である。  

2017年01月26日

tank cars

 しばらく前に完成していたタンク車を紹介する。

Tydol Veedol (1) Tydol Veedol (2)非対称なタンク車である。 常識的にはありえない構成で、興味があった。デカールを入手したのは、もう35年も前のことだ。いつか作ろうと思っていた。
 30年ほど前、プラステイック製のおもちゃのようなタンク車のキットを手に入れた。おそらく、ライオネルの台車と連結器を買って完成させるものだろうと思われる。非常に大味な作りで、あまり面白くない。タンクボディ以外をすべて削り取り、ドームをもう一つ付けた。なんの事はない。タンクボディを丸めて作ればよかったのだ。そうすればスクラッチ・ビルトになった。

 ドームの接着はスーパーXによる。これがなければできなかった。エポキシでは剥がれてしまう。下廻りはキットの構成を大改造した。でたらめな作りで、話にならなかった。
 未塗装で15年ほど寝ていたが、年末に塗装した。

 どうして二槽になっているのかは分からない。諸説あり、潤滑油とガソリンなどとあるが、どれも怪しい。多分潤滑油を二種類だろう。
 Tydol Veedol は、初のTranspacific Flight (太平洋横断飛行)が、1931年に青森県の淋代から行われたときのスポンサであった。機体にMiss Veedolと名前が書いてある。
 今の三沢基地の近くである。どうしてそこになったのかは、単に地理的な問題である。大圏航路で本州としては一番アメリカに近いからである。出発時にもらったリンゴがあまり美味しくなかったので、アメリカからデリシャス系のリンゴの木を贈ったという話がある。それが青森りんごに接ぎ木されて広まったと聞いたが、本当のことはよくわからぬ。

 日本人にはなじみの薄いブランドであるが、アメリカではたまに見る。 この非対称のタンク車は珍しく、どうしても作りたかったものである。

2017年01月24日

続 ガセットを作る

gasett plates 正直なことを言えば、ガセット・プレートを作る方法が解決しなければ橋を作ることはできなかった。レイアウトの建設が始まった時、交差部はトンネルにするか、それとも橋にするか、ずいぶん悩んだ。
 いろいろな方法を考えていたが、最終的に残った方法がこの方法である。試作してうまくできたので、橋の設計に取り掛かった。製図はすべてnortherns484氏にお願いした。大変な作業をして戴いた。
 
rivet forming (9) ガセット・プレートのリヴェットは大きくて目立つが、車輛とは異なり、じっくり見るようなものではないのだ。一瞥してよくできているなと思わせることができれば、それで良いのである。 

 このガセットを作るのには、大変な手間が掛かる。紙の上から順次打つのであるが、時間が掛かる。大きさはいろいろあるが、4枚で1時間ほどだ。
 全部で100枚ほどあるので、この先、かなりの時間が掛かるだろう。

 毎朝、起きてすぐの時間帯に、朝日を浴びながらやる。目の疲れが無い時にやらないと、失敗する。

 金床の上で叩き伸ばしたガセットを、スーパーXで貼る。小さなクランプで押さえて固まるのを待つ。リヴェットの大きさは、まずまずであった。

2017年01月22日

ガセットを作る

 ガセットをどのように作るかは、いくつかの案があった。リヴェットをどのように作るかが問題である。エッチングや特殊なデカルによる方法も考慮したが、いまひとつ写実感がない。 
 やはり、押出し工具でやることになったのだが、通常の方法では大変である。ブラス板に卦書いて、その交点を打たねばならない。罫書きの手間を想像するだけでも気が滅入る。
 
rivet forming (4)rivet forming (3) 手持ちのリヴェット打ち機に針が下から出るタイプのものがある。こういう時には便利だということで、各サイズのオスメス型を買ってあった。
  作図をお願いしたnortherns484氏に無理を言って、ガセットを原寸大で印刷してもらった。リヴェットの座標を正確に押さえるため、メス型ダイの直径と同じの2.6mm径で描いてもらった。

rivet forming (5)rivet forming (6)rivet forming (7) 薄いブラス板に両面テープで図面を貼り付け、雌型を丸の上に載せて、コンとハンマを落とす。次から次へとこの作業をこなしていくと、1枚できあがりだ。
 紙をめくってみると、そこそこにうまくできている。

rivet forming (8) 金床の上でゴムハンマでむらなく叩いて、反りをとる。鉄橋に接着剤で貼り付けてできあがりだ。 叩くと、裾野の盛り上がりが治まって、リヴェットの形が良くなる。


追記
 3枚目の写真をよく見て戴くと、〇がポンチと少しずれている。このずれが目でみて容易にわかるというのがこの方法の工夫点である。正しい位置にあると、前後左右に白いところが見えないのだ。コメントを戴いて、それを書き忘れたことに気付いた。
 金属板上の罫書きとは異なり、印刷された交点の面積はかなり大きく、思うようには座標は決まらない。
 

2017年01月20日

サンドブラスト

 鉄橋が多少錆びて来た。ハンダ付けの塩化亜鉛のせいだ。放置するとますますひどくなるので、錆を取っておく必要がある。

sand blast2 足立健一氏のところには大きなサンド・ブラスト装置がある。筆者のものと比べると、桁違いに大きい。自動車の部品を処理することもできるほどの大きさだ。お願いして使わせてもらった。錆は面白いように取れる。ハンダの部分は軟らかいのでなくなってしまう。非常にきれいになった。 

sand blast 砂は細かなもので、よく流動する。全部で 4 L ほど使った。もちろん下から回収して何度も使う。

 錆はきれいに飛んでいき、全体がサテン地になった。鈍い鉄の色は美しい。

 サンド・ブラストに用いるエア・コンプレッサは2馬力以上のものが必要だ。流量が大きいので、小さなものではエアタンクが一杯になるまで待っても数秒でなくなってしまう。
 

2017年01月18日

続 作業台の高さ

 それを聞いて、「やはり、そうか」と思った。
 裏庭の物置を整理した時に、実家から引き揚げてきた風呂の椅子が出てきた。ほぞが緩んで壊れていた。 捨てようと投げたが、その瞬間ひらめいた。

 V-board ルータで切り込んで、V-boardを沈め、面一(つらいち)にする。裏も少し削って、握りの前の締め金具が当たらぬように逃げる。V-boardは、硬い樫の木を用いた。


V board 2 接着剤を十分塗って締め上げ、一日待つ。多少の不陸はベルトサンダで落とすと、平らな作業台ができる。ワークをクランプで締めることも可能だ。
 脚の裏にはゴム板を貼り、多少摩擦を大きくする。足の手前にはストッパを貼りつけ、作業台の縁に引っ掛ける。

V board 3 極めて単純な工作で、1時間で完成だ。筆者の体格で、普通の椅子に座り、ほど良い高さである。この種の椅子は最近はあまり見かけないが、わざわざ探すほどのことはない。スクラッチから作ったとしても、大した手間ではない。

 友人が来た時に試してもらったが、なかなか良いという評価だった。 お試しあれ。

2017年01月16日

作業台の高さ

 三本ローラの写真をご覧になって、
「これは博物館の奥の、高くなっている線路路盤に付けてありますね。」
と、いうメイルを戴いた。
「高いと、見易くて良いですよね。」とある。
その通りなのである。

 万力がその場所にある。各種の切断はそこで行う。切粉が落ちるのはその下の隠しヤードへの路盤である。紙を敷いて受ける。

 糸鋸作業が高いところで行われると仕事が捗る、というのが筆者の認識である。視線が水平に近くなるので、直線が見易いのだ。以前は高さ750 mmの作業机に薬研台(英語ではV-boardという)を取り付けていた。結局のところはしゃがんでやることが多かった。

 自宅のレイアウト工作の時、1200 mmの路盤に万力をとりつけ、作業した。やや高い椅子に座って作業したのだが、なかなか具合が良い。
 普通の机(720〜750mm高)では何かを用いて高くすると良さそうだと思っていたところ、今野氏が興味深いことを教えてくれた。
「他の趣味界の人と話すと面白いですよ。金工をされる方で、全くの素人さんの様でしたが、糸鋸を使うとき、机の上に作業用の台として、箱を載せると言うのですよ・・・・・」

2017年01月14日

板を丸める

 友人の依頼で、金属板を丸めた。いつもは薄い板を大きな半径で丸めていたが、今回は1 mm 板を半径15 mm で丸めてくれという依頼であった。

 厚い板は何度もローラを通すと少しずつ薄くなる。今回も0.02mmくらい薄くなったような気がする。その分延びるので、計算値よりすこし短くして開始した。
 まず、アルミニウム板で練習する。これは軟らかく、あっという間にできた。

115_5223115_5226115_5235 ブラス板はそれに比べると硬いので、何回かに分けて通す。事前に端の部分は丸みを付けておかねばならない。それには例の丸いダイを使う。
 端の部分を当てて、ゴムハンマーで丹念に叩く。それをローラに通す。少しずつネジを締めて隙間を減らす。20回くらい通すと具合よく丸まる。ローラを外して、逆回しでも通しておくと、形が整う。

 この器械はシカゴから来たものだ。イギリス製である。万力に取り付けて使う。以前から持っているものは半径が20 mm程度のものまでしか曲げられなかったので、今回初めてこれを使った。

2017年01月12日

3条ウォーム・ギヤ

 コメントを戴いているので、予定を変更して、続編である。

 筆者の3条ウォームは、85年夏のミルウォーキのNMRAコンヴェンションで発表した。祖父江氏と一緒に行って、ブースを借りた。
 2輌を同一の線路に置いて、片方押すと他方が走る様子は、大きな反響を呼び、地元のテレビ局が取材に来た。「マジック」というタイトルで放映されたようだ。そのビデオが見たかったが、 チャンスがなかった。MRに載ったのはその年だ。当時は、本社がすぐ近くの北7番街1027番地の古いビルだった。

 その発表のさなかに、一人の男がやってきて、
「このアイデアは戦前にライオネルが採用している。」
と言ってきた。こちらは そんなものを見たことが無いので、
「そうですか」
としか言えなかった。後に見せてもらった時、確かに押して動くが、それほど軽く動くわけでもなく、比較できないと思った。中を開けて見せてもらったわけではないので、今回の分解が初体験である。ギヤボックスが密閉式であるのは優秀である。
 ずっと後でわかったのは、その男がクラインシュミット氏であった。彼とはいろいろなところで会って、手厳しい評価を受けている。因縁深いものを感じる。しかし、最近は非常に仲の良い友達になった。

 大切なのは潤滑だ。良い潤滑剤を採用し、密閉されたギヤボックスを採用しないとうまくいかない。油が切れたり、埃を噛んだりするようでは意味がない。
 また、組立時にはよく洗っておくことも必要である。 

 3条ウォームが実現して、31年経った。一部のOゲージ・メーカが同仕様のものを採用しているだけで、他には同じものがまったくない。
 似ているだけでは、あまり効率が良くないのだ。材質も大切なファクタである。ブラスのウォーム・ギヤは感心しない。 

 以前にも書いたが、この直角伝導がコンパクトにできるというところが、模型用として非常に大きな利点である。傘歯車と平歯車ではあまりにもコストが掛かるし、ギヤ比や音の点で不利である。 効率もそれほど低くはなく、十分に太刀打ちできる。むしろ設計手法や工作精度によっては勝てる範囲にある。またクラッチ等を用いて、押して動くようにすると下り勾配で制御不能になるので、低抵抗車輪を用いた長大編成の運行ができなくなる。これは、まだその実験機が保存してあるので、いずれ博物館で実際に運転してみる。

2017年01月10日

続々々 Lionel

BlogPaint ネジを2本外すとモータは分解できる。カーボンブラシはそこに立ったまま、抜けている。組むときはブラシなしで組んで、ブラシを落とし込み、バネをセットする。実に簡単である。モータ軸の先端は、先の尖ったネジで押さえられている(青矢印)。スラスト(軸方向の推力)を小さな摩擦で受けつつ、ガタを調節するためだ。この種の工夫は初めて見た。
 動力台車のセンターピンはない。前後はスライド溝で制限し、左右はモータの枠が当たって制限される。ゴムタイヤが付いていて、2軸駆動だが十分な牽引力がある。

 ライオネルの機関車は発電できない。これは界磁が励磁されていないので仕方がない。これがマグネット・モータならば、界磁に吸い付けられて、ますます動きにくい。しかし、3条ウォームを戦前から採用していたとは驚いた。どうしてそれが日本に入って来なかったのだろう。これは理解しがたい。ライオネルを分解した人は居なかったのだろうか。

 この方式が広く認知されていれば、鉄道模型界はかなり変わっていたと思われる。山崎喜陽氏は、「ウォームギヤは逆駆動できない宿命を持つ」とまで書いていた。単なる無知では済まされない。
 特許が取られていたとしても、昭和40年代にもなれば切れていたはずだ。もっとも、マグネット・モータが採用されていたので、逆駆動はやや難しかったろう。
 コアレス・モータが出るまでは、大きな変化はなかったかもしれないが、何かの変化はあったはずだ。 

2017年01月08日

続々 Lionel

 ライオネルは、どの機関車も押して動く。正月に子供たちの遊び方を観察した時に分かったが、「押して動かす」という動作は、本能に基づくもののようだ。
 Williamsの機関車はマグネット・モータを搭載し、整流ダイオードが付いている。近代的ではあるが、押して動かない。本家ライオネルの電圧を上げて逆転器を動かすという手法を踏襲してはいるが、車輛を押しても動かないものは、子供が認めない。すぐに横に放り出されてしまった。

Lionel motor2Lionel motor3 ライオネルのディーゼル電気機関車は、モータ軸が垂直で、ウォーム・ギヤ駆動だ。これも押したら動く。ギヤは何と3条ウォームだ。非常に細く、普通のインボリュートでは当たってしまうようだ。歯型が特殊だ。かなり「逃げ」を大きくしている。

 筆者が3条ウォームを開発した時は、ライオネルがそれを採用していたことを知らなかった。後で聞いたところによれば、戦前からあったそうだ。しかし、押して動かす時の軽さは全く異なる。ライオネルは直捲モータであるが、平型コミュテータの径が大きく、摩擦が無視できない。ディスクブレーキのようなものだ。また、ウォーム・ギヤの前後にスラスト・ボールベアリングがないので、摩擦が大きいと思った。しかし、ブラシを外すと、実に軽く押せる。これには秘密がある。

 ブラシ付きでは、レイルに押し付けて押すと、モータが何とか廻るという程度だ。子供はそれを楽しむ。筆者の3条ウォームは、指先ひとつで押せる。また発電もできる。


2017年01月06日

続 Lionel

115_5130115_5131 蒸気機関車はspur gear drive(平歯車駆動)である。直捲電動機であり、ギヤ比は12:1程度であるが、簡単に逆駆動できる。すなわち、子供が機関車を手で押すとモータが廻る。永久磁石のない直捲電動機ならでは、である。モータ軸は枕木方向であって、歯車は二段になっている。残念ながら、発電はできない。全軸ギヤ駆動だからロッドは飾りであるが、エキセントリック・ロッドも加減リンクも動く。子供たちはその動きに魅せられる。

115_5132 直捲電動機は起動トルクが大きい。電圧を上げていくと、じわっと動き、電圧を変化させなくてもそのまま加速していく。伊藤 剛氏が、「オートマティック・トランスミッションのようなものですから。」と仰ったが、全くその通りである。 3極モータで、コミュテータは3等分の円盤である。円筒状のものに比べて、円周が大きいから摩擦の点で損なのだが、後述のブラシ取換えのことを考えた構造であろう。

 モータ軸は機関車を裏返せば軸端が見えているから、簡単に給油できる。ブラシもその横に見えているから、押えのヒゲバネを横にずらせばすぐ外れる。交換部品はいつまでも供給されているから、半永久的に使える。
  
 先従輪は、左右に自由に動き、急カーヴの上では極端に飛び出す。

 電流値は最大5 Ampほどである。フィーダ線を手で軽く押さえて出発させたところ、接触抵抗が大きかったのだろう、熱くなって驚いた。50年ぶりの経験だった。


2017年01月04日

Lionel

 Lionelはすでに100年を越す歴史を持つ会社で、経営自体はすでに創業者から離れているが、製品はポリシィを守って脈々と作られ続けている。精密な模型がいくらでもある中で、汽車のおもちゃとしてその哲学は一貫している。

 アメリカでライオネルと言えば、その浸透度は他を寄せ付けない。お付き合いしていた範囲では、10軒に1軒は持っているような気がした。クリスマスには引っ張り出して走らせるようだ。 
 古くても、油を注せばちゃんと動く。減りそうなところは硬い材料を使っているので、いくら走らせてもほとんど摩耗しない。注油の指示も正確に描いた図が添付されているから、簡単である。

 線路は昔ながらのtubelar rail (いわゆるガラレイルで、内部が中空)もあるが、徐々にプラスティックの路盤になりつつある。中央三線式で、確実な集電が可能である。昔のレイルはレイル内部の針金状の「爪」の向きが決まっているので、いわゆるSカーヴを作るためには両方に爪があるものが必要であった。また両方の爪がないものも必要であることは言うまでもない。

115_5133115_5135 最近のプラスティック路盤は、接続部の接点が逆接続もできるようになっていて、その点は大した進歩である。要するに接続面では接点が点対称に配置されているのだ(これはMTH製)。
 走行レイルは独立していて、電気的にはつながっていないので、どちらも給電しておくと、電気抵抗が減る。電流は大きく、5Aほど喰うものもあるので、少し離れると電圧降下がある。それも理科教育には大切なことかもしれない。

Lionel チューブラ・レイルの時は車輪と二点接触だったが、普通のレイルではほぼ1点接触と言える。これは今まで気が付かなかった。被牽引車はすべてピヴォット軸受で、極めて軽く動く。半径400mm程度の急カーヴをしゅるしゅると走る。大したものである。 

2017年01月02日

謹賀新年

rainbow 大変きれいな虹が出た。晴天だったが、風が強く、山の向こうの雲から雨粒が飛んできたのだ。空に掛かる部分が100%見える虹は珍しい。よく見ると左上に二重の虹がある。
 虹が虫偏なのは興味深い。虫は爬虫類の「虫」で、トカゲすなわち「龍」を指す。「工」は橋を架けることである。要するに龍が空を渡って橋のようになることを指すのだ。

 博物館は徐々に完成に近づいている。あと転車台付近と信号機の工事を完成させれば、一応の工事は終わる。四月の開館を目指している。

Lionel 正月は孫と甥の子供たちが来るので、何か用意せねばならない。今年はLionelの線路を敷き、貨物列車1編成を用意した。
 O27という急曲線で、嫌がるかと思ったが、子供たちはよく遊んだ。機関車はライオネルの純正品でない Williams の6軸ディーゼルを走らせた。この機関車は不評であった。ウォームギヤが1条で、押しても動かないからだ。
 子供たちは手で押して走らないものは嫌がる。貨車はピヴォット軸受付きで、実によく転がる。急曲線でもくるくると惰性で廻る。左右は別回転ではない。レイルは洋白製の普通のレイルの形をしていて、いわゆるチューブラ・レイルではない。車輪は円錐面二つで構成された荒っぽい作りだ。曲線では多少は抵抗が増えるが、それほどひどいものではない。フランジが触っていないからだろう。 要するに一点接触に近いのだ。

2016年12月31日

続々々々 鉄橋を組む

側面トラス 鉄橋の側面の太いトラスは、厚い鉄板である。8 mm厚の板を切り抜いたものを貼る。接着剤は例によって「ス−パーX」である。この接着剤をヘラで塗って、クランプで圧着する。切り込みがあるので、所定の位置に自然に納まる。クランプをたくさん出して来て、要所を押さえる。浮くとみっともないことになるので、あちこちから覗いて隙間がないことを確かめる。
 念のために、一昼夜放置して、接着剤が固まるのを待つ。はみ出したものはナイフで削り取る。
側面トラス2 もう片方を同じように付ける。また1日待つ。その間、他の仕事をしている。これらが付くと、橋は素晴らしく丈夫になる。乗っても大丈夫なはずだ。
 


天井トラス 次は天井部分だ。バリがあるといけないので、丁寧に調べ、部品が隙間なく付くことを確かめる。スーパーXを塗ってクランプで締める。上部のXブレイスが実に実感的で、しかもその部品が機能しているのがわかる。とても堅くなるのだ。

門構門構2 今度は門構部分である。非常に大切な部分だ。ここの組み立てが悪いと、橋が歪んでしまう。手持ちのクランプを総動員だ。


 接着は恐ろしく効率が悪い。1工程が1日、即ちこれらの写真だけで4日掛かっている。 

dda40x at 12:31コメント(0)接着 この記事をクリップ!

2016年12月29日

続 コメントへの反応

 今回投稿されたコメントで、思わず吹き出してしまったところがある。
”工作マニアが「模型に価値観を与えたいからだ」なら理解できます”の部分だ。

 確かに、我々は工作マニアの中に入るだろう。しかし、価値観(多分、「価値」の方が適切か?)を与えるつもりはない。それによって人にどう思われるかはわからない。現実にこの投稿者は、その価値を完全に否定しているように見える。
 ロンビックから始まる等角逆捻りの概念を実現するためには、様々なアプロ−チの仕方がある。剛氏は4つほど試作された。筆者はそれを含めて7種作ってみた。どれが一番作り易いか、どれが見かけに影響を与えないか、どれが一番ガタが少ないか、どれが最も理論的に誤差の無い方法かなど、様々な見地からの分析を行い、生き残った物が筆者の3種である。

 だからこそ、これを付けると良いですよ、と広く公表しているわけだ。筆者の場合、機能以外全く考えていないから、裏側のハンダ付けの後処理も全くしていない。キサゲも掛けてないから、ひどい状態で、ただよく着いているだけである。そういう意味での価値の向上は期待できない。
 
 我が国の鉄道模型は、相も変わらず外観重視だ。投稿者はそのような土壌の中にいるのだから、今回の投稿がなされたのも無理はない。実物のみを観察し、その精密縮尺模型を作ってもうまく走らないのである。これは作ってみて、初めて実感できることである。実物業界人が、したり顔で論評することがあるが、的外れなことが多いのは、これが原因である。

 今回、解説コメントを投稿して下さった方は、鉄道よりも、もう少し大きな実物を扱っている方で、物が動くことを解析することに長けている方だ。
 「模型は堅いからね。」「二乗三乗則が効いているからね。」「ステップ応答がピーキーだからね。」と説明してくれたのだが、専門語を一切使わずさらにわかりやすく、擬音、擬態語を使って書き直して下さったのだ。
 今回の解説コメントは、非常に評判が良いので、筆者も嬉しい。
 「専門家であっても、素人に説明できない人は、自分自身も分かっていない。」とはよく聞く。自戒したい。

2016年12月27日

コメントへの反応

 先回の記事に対し初心者氏から戴いたコメントには反応が多く、直接の投稿、メイルを沢山戴いている。
一言で言えば、この方は文字通りの初心者で、ものを作った経験が乏しく、観察も未熟と推察する。

 戴いたコメントの中で、工学のエキスパートであるT氏からの文章がすべてを言い表しているように思うので、紹介しよう。コメントとしては量が多いので、許可を得て本文に掲載する。下線は筆者が追加した。

初心者氏のおっしゃる「たわまないべニア路盤」が実物よりずっと強固であることはその通りだと思います。
また、車両も脱線や衝突をすれば簡単に壊れる実車に比べて模型は非常に丈夫です。
そういった意味では、模型は実物以上に「しっかり」「堅く」できていますので、実物が採用している
構造部品を壊さないための」イコライザーは小型模型には必要ないでしょう。
一方で、今回話題の模型独特の等角逆捻り機構は、むしろ模型の路盤や車両の「丈夫さ」「堅さ」を和らげて、模型に実物に近い振る舞いを模型に与える機構だと理解しています。
実物は「フニャフニャ」で重いので多少の線路誤差にも車体自体の変形で追従しますし、線路も台車が通過のたびに目で見えるほど沈みます。 

模型の場合は、実物より「ガチガチ」に堅い上に軽いので、線路の段差やねじれが線路の誤差のまま、モロに車体が躍ってしまいます。
つまりピョンピョン、カタカタと動いてしまい、いかにも「模型チック」に見えてしまいます。
しかも、線路の誤差はコン氏がおっしゃるように、実物換算で数センチ近くに相当するため、模型はより一層ピョンピョン、カタカタ跳ねます。(しかも、車体が堅いので、段差に載っていない側の(反対側の)車輪を引っ張り上げてしまい、車輪が浮くこともしばしばです)
ここで、等角逆捻り機構を搭載しますと、線路誤差に対して車体は機構によって、前後の台車で「無理やり」半分づつ分けて追従させるように振舞います。
これによる車両の振舞いは、実物の様な「フニャフニャ」までには達しないものの、段差通過時は、一つ目の台車が通過するときに、まず
車体が段差の半分傾き、次の台車が通過するとまた半分傾くため擬似的に車体がフニャフニャな「様に」見せることができるのだと思います。 
ちょうど、アニメーションの駒数を増やすイメージではないでしょうか?
また、この追従構造はコンさんのおっしゃる通り集電面で有利です。普通の三点支持と比べて等角逆捻りは変位と支持質量が半分づつなので一層追従性も良いはずです。
 
大きな段差を一輪車で越えるより、半分ずつの2段を自転車で越える方がサドルの動きは小さいですよね。 
集電が良くなれば模型はスムースに走るので一層実物らしい走りに近づきます。 
従って、これらの機構は模型に「実物に似せた」振舞いを「見かけ上」与えるものではないでしょうか?


 全くその通りである。走る模型は実物を縮小したものではないのである。実物のみの体験、観察からはよく走る模型は生まれない。だからこそ、Low-D車輪をはじめとする、いくつかの工夫があるのだ。



2016年12月25日

等角逆捻り機構の英語訳

 the O scale Resourceの1.2月号が出た。拙稿も掲載されている。編集者と会った時に、ぜひこれを載せたいと乞われたので、原稿を送った。
 問題はその英訳である。same angle opposite twist mechanism で、SAOTでどうかという話もあったが、northerns484氏が、symmetricalという言葉を薦めて下さった。symmetrical twisting か symmetrical tilting のどちらがよいか編集者に聞いてみた。多少の時間が掛かったが、結局後者に決まった。今後これで行こうと思う。

等角逆ひねりe3 今回の投稿で最も大切な部分はこの図である。等角逆捻り機構の意味が分かるようにした。鉛筆でスケッチして northerns484氏に送り、3次元の作図をして戴いた。視点を上下して、最も効果的な角度で表した。

 ロンビックもフカヒレも結局はこの動作(あるいは疑似動作)をさせているわけで、それさえ理解できれば、細かい理屈はどうでもよくなる。

 動画が要るというので、慌てて撮った。時間がなく、一回きりの撮影である。台本も作らず、実にいい加減な動画撮影であったのは反省している。いずれ撮り直したい。
 グネグネ線路を走ってくる様子は、大変気に入ったようで、素晴らしいと言っていた。

 あといくつかのネタで編集サイドからの要望があり、いずれ発表される。 

2016年12月23日

ED14の台車

ED14 equalizer 読者の方から、この連載が始まってから現場まで行って撮影した、という写真をお送り戴いた。掲載の許可も戴いているので、予定を変更してお見せする。
 見事に2本のピンがあるのがわかる。距離が近いので効果は少なそうという感想も戴いたが、そんなことはないと思う。心皿の中心との三角形を考えれば十分に機能している。

ED14 trucks この角度から見ると、イコライザは台車と平行である。即ち、傾きはない。イコライザはアメリカで発達した。イギリスの機関車で、(蒸気機関車を含めても)イコライジングを採用したものは極めて少ない。日本に輸入されたED17にも、イコライザはない。バネ材が優秀なのだろう。

 イギリスは大規模な土木工事で、線路をほとんど真っ直ぐに敷き、勾配を減らした。また保線状態が極めてよかった。それに引き替え、アメリカは未開の土地に猛烈な勢いで線路を敷いたので、保線は劣悪で、その線路に追随するためのしなやかな車輛を要求された。また、バネの鋼材の質も良くなく、折損の危険を減らすために、イコライザが必要となった。このことは椙山 満氏から何度も伺ったし、井上 豊氏からも体験談をお聞きした。

 おそらく、この2本ピンの方式はその中の試行錯誤から得られた「体験知」であろう。ベストの解ではないが、「これでうまく行く」という方法を採ったのだ。これはまさにプラグマティズムである。
 プラグマティズムは哲学の一分野であるが、それは何かと説明を求められても、筆者にはうまく一言で説明できない。簡単に言えば、「唯一絶対の解を求めなくてもよい。」ということだろう。この2本ピンの方法は、教条主義で理論派の人からは、「あるまじき発想」と攻撃されるだろうことは、想像に難くない。しかし、これでほとんどの場合はうまく行くのである。それならそれで良いではないか、ということだ。現実にこの機関車は日本にやってきてから何十年も問題なく働いてきた。  

2016年12月21日

類似の機関車

 伊藤 剛氏保管の図面コピィを探すと、類似機種が見つかった。

DEKI400 名鉄 デキ400 これはイコライザ・ピンが1本である。二つの台車はリンクで結ばれ、バネで押されている。車体には引張力が掛からない。モータは75 kWが4つで400馬力というわけだ。牽引時は台車はどちらも同じ方向に傾こうとするが、リンクで十分持つのだろう。このモータは電車用で、車体内に電動送風機はない。すなわち、走らないとモータは冷えないから、重い列車は引き出せない。
 デキ400の図面を見てみよう。横ずれを防ぐリンクがあるが、押し引きは押金と引張りリンクだ。バネで突っ張っている。他には何もない。
 台車の力学的中心を結ぶ線分の近くにリンクと押金がある。 

DEKI 600 この写真を見ると、台車は後ろに少し傾いている。これは許容範囲であろう。この程度の出力ならイコライザ・ピンが1本でもなんとか行ける、ということなのだろう。写真は土橋和雄氏撮影。


ED14 ED14は900馬力ほどもあるので、台車が転ぶのを防ぐ積極的な策を講じたのだろう。ピンが二本であると転びにくい理屈は、極端な例を出せばこういうことだろう。平面に細い棒を立てると転びやすい。その棒の下に小さくてよいから板を釘で打てば、多少は安定して立つ。台車のピン孔はやや縦長になっている筈だ。 こうなるとイコライザ(equalizer)という意味は薄れる。「掛かる力を分散させている装置」というわけで、バネ折れを防ぐことには貢献している。
 このような方策を施した機関車は、国内にいくつかあると、そのDFには書いてある。

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