2018年11月13日

続 Ambroidの木製キット

sections Ambroidのキットは、このような繊細なセクションをもつ部材からなる。細いアングル、チャンネル、Iビーム、Zセクションなどが入っている。右から5番目はTセクションであるが、倒れている。申し訳ない。

 このような細い部材を作るノウハウがあったのだろう。bass wood(シナノキの一種)をよく切れる回転刃物で削り出すのだ。細いものは厚みが 0.5 mmに満たないものもある。型材以外に平角材があるが、その厚さたるや 0.4 mm以下のものもある。

 木材であるから繊維の向きには割れやすい。開封したらすぐにラッカ・サーフェサを塗って固めてしまう。こうすることによって、安全に作業できる。切るのは薄刃のカッタ・ナイフである。新しい刃を使うのがコツだ。チャンネルなどを切る時は、凹みに合わせた木材を噛ませて切ると、割れない。

 スティール・ウルを使って、下塗り材のザラつきを落とす。部品を接着してから、再度サーフェサを塗り、研ぎ上げる。最低2回、出来れば5回塗ると金属と見間違えるようになる。チャンネルの溝の中は細いヤスリで磨く。

 先回の写真で側面パネルについているリブは、厚みが 0.5 mm以下である。非常に繊細であって、完成時に細密感を際立たせる部分である。

covered hopper floor 床の構造は車種によって異なるが、この写真のタイプはよくある。薄板を嵌め込む溝を床板に切ってあり、それが連結器取付け板となる。非常によくできている。この写真は裏から見ている。

 ボルスタは、線路方向に”目”がある。長いものをルータで削り出して、それを10 mmほどに切ってある。これも非常に良い形をしている。
 どこで読んだのか忘れたが、「割れやすいからこの構造は良くない。」と断定する記述があった。決して悪くない。その人は割った経験があるのだろうか。筆者は100輌以上作ってきたが、1輌たりとも割れたことは無い。床板に貼る前に孔をあけてネジ込めば、割れるかもしれない。それはあまりにもマヌケなやり方である。床板に完全に接着してから、ネジを締めるのが常識というものだ。経験の足らない人が、思い込みで良いものをけなすのは、悲しいことである。

 HOとOのキットは互いに相似形である。Oは1000、HOは5000の生産が通例である。このようなキットは、生産されていないようだ。機械、ノウハウが消えてしまうのはもったいない。

2018年11月11日

Ambroid の木製キット

 アムブロイドは1960年代からこの種のキットを出している。HO も出ているが、Oゲージの模型の方が出来が良い。その違いはサイズから来るもので、HOの設計が拙いわけではない。木材にはある程度の粗さがあるので、HOではその粗さが相対的に大きく、消しにくいからである。 

Ambroid kit box 1980年代はこんな箱であった。1ロット1000箱ぐらいの製造である。精密に加工された木材が入っている。細かい部品はソフトメタルである。接着は当然 Ambroid Cement を使うのだが、かなり良く付く。水性ボンドを使うと木材が反る。エポキシはその点、問題がない。

Ambroid kit airslide hopper の蓋を開けたところである。原寸大の図面とディカルが入っている。
 最初は骨組みからである。この部分は木の板を正確に切ってあるから、直角ジグで正確に貼り付ける。その後は徐々に材料を切りながら、組んでいく。木製部品は、予めラッカ・サーフェサを塗って研いでおく。金属部品はバリを取り、そのまま付けられるか、確認する。全体の質量がいくつになるかを調べ、計算して補重する量を決める。この車種なら80 g位だ。
 鉛を秤量して錘を作る。内部に取り付ける時には、ショックで外れないように押さえを作って、エポキシ接着剤で留める。場合によっては、鉄骨の切れ端を入れることもある。

Ambroid kit2 これは骨組みを示したものである。床板は幅の広い、浅い溝が切ってあって、薄い板をそこに嵌めると連結器が付く部分ができる。薄いと弱いので、部分的にブラス板に取り換えても良い。

 エポキシ接着剤を使って作り始めると、大体2週間かかる。固まるのに一晩掛かるからである。この種のキットはブラス製とは違って、ずっと連続して作ることができないことを承知していなければならない。だから、複数を同時に作ると効率が良いわけだ。


2018年11月09日

red cabooses

 ”Red Caboose” と書くと、どこかの模型屋の商号である。あるいはカブースを改造してホテルにしているところもある。

 これらはQuality Craftのキットから組んだものである。何とも言えない雰囲気があり、筆者の好きな車輛群だ。カブースは木製のものが良い。スティール製は味気ない。問題は台車である。ぴったりのものが見つからない。既存のコイルバネのものでごまかしているが、いずれ取り替えたい。

Erie Railroad caboose Erieのカブースは筆者の最初の作品である。多分1977年製だろう。ちょうど事故車のErie の Heavy Pacific K5aを手に入れた直後だ。機関車は、徹底的に作り替えてよく走るようにしたが、まだその時は客車がなかった。仕方がないので短い貨物列車を牽かせて遊んだが、カブースを必要とした。このキットが入手できた時は嬉しかった。Ambroid Cementで組み立ててある。塗装はフロクイルだ。

B&O caboose B&O I-5タイプは、その10年後くらいにEM-1を入手した時に作った。台車には困った。合うものがないのだ。ごく適当にAndrewsを付けているが、誰からも指摘を受けていない。
 写真を見て手摺に白を入れた。黄色のものが多い。 ウェザリングしていないので、赤が鮮やかだ。


2018年11月07日

続 all-door boxcar by Thrall

all-door boxcar ceiling 先回の写真の内、三つ目の車輛は、ドアを片方に寄せて荷役作業をしている時を表している。ドアが重なる様子を作った。

 この種の車輛は全スパンに亘って屋根の支えがない。即ち、屋根の剛性を確保するためにかなり努力している。H型断面の鋼材を入れて見たり、Iビームを付けたりしている。筆者がたまたま見たものには、トラスが入っていた。きっと他の構造もあるだろう。

 開いているドアは空中に浮いているので、ブラス板で作った。かなり重い。ドアを開けたまま走ることは禁止されているので、これは走らないディスプレイ・モデルである。連結器もケィディではない。

 積み荷は、レーザで切った物を売っていたので、貼り合わせて作った。ランダムに積んだ様子を表している。実際にこのようなバラ積みも見た。

 あれから40年以上経つ。この種の貨車は急速にその地位を失い、現在では博物館でしか見られない。積込みの方式が変化したのだ。今はセンタービーム・フラットカーを使う。これはドアがないので荷役作業が楽である。たった一人で積み込みができる。積み荷には簡単な雨よけが付いていて、車内に入れる必要がなくなったのである。 

2018年11月05日

all-door boxcar by Thrall

 1970年代には、この貨車をあちこちで見た。荷役作業をしているところを見ると非常に面白い。どのドアも開くので、直接フォーク・リフトを使って積み込む。中にはほとんどバラ材に近いものを積むのも見た。それが印象に残っていて、いつか模型を作ろうと思った。1976年にこのキットを手に入れた。ラッカ・サーフェサを何度も塗って研いであるので、つるつるである。誰も木製であるとは信じないくらいの仕上がりだ。しかし、形はすぐできても、色が難しい。

colors of boxcars 何枚かの写真と記憶にある色を組合せて塗ってみたものが一番下である。被写体の車輛の経年変化の程度もあり、参考にした写真の色再現性の問題も絡めて、塗った時は正しいと思ったのだが、ディカルを貼る瞬間に間違ったことに気付いた。ヘラルドの色と近いのである。地の色はもっと薄い。それからこの模型を見るたびに、様々なことが思い出され、気分が滅入った。

 10年ほど前、模型ショウのスワップ・ミートで一番上のを見つけた。この人も色では失敗している。筆者のより、濃く塗っている。上から二つ目はフロクイルのWeyerhauser greenを塗っているようだ。調色塗料なので一応色相は合っているが、本体の構成が派手に間違っているのと、塗装が薄くて下地が透けているのが問題だ。どちらも10ドルほどで買った。

 これらの造作を全て外して下地を整え、細かい部品を作り替える。塗装は完全にやり直し、ディカルも貼り直す。何のことは無い、一から作るのとそう変わらないのだ。白く塗ったもの緑のものと合わせて、完成すると7輌揃う。

 この模型は、HO、Nでよく見る。人気があるのだろう。しかし実物を見たことがある人は、少ないはずだ。

2018年11月03日

木製キットを組む

wooden kits completed 自宅の倉庫その他の大捜索で発見されたキットを博物館に持ち込んだのは半年前である。博物館の作業台はとても広く、開いた状態で並べて置ける。
 毎日の作業の前に点検し、組立て手順を考える。同じ種類の作業は昼休みにやり、帰り際にはそれを接着する。一晩経てば完全固着しているから、次の工程に入れる。これを毎日やるとかなりの進捗である。

wood cabooses ざっと40輌が9割以上の進捗度である。船で言えば、進水式を終えた状態である。台車、連結器が付き、走れる状態になっている。
 あと手摺を付ければ生地完成のものがたくさん並んでいる。木製カブースがなかなか良い。かなり細かく出来ている。側板は羽目板を表す細い筋がたくさん入っていて、それに角孔をあけて、ホワイトメタルの窓枠を入れる。
 キュポラもホワイトメタルで重い。その屋根は薄い木板である。このあたりが弱いので、ブラスで作り替える。キュポラは外れないと窓ガラスが入らないから、ピンを植えて本体に挿すようにする。物によってはブラスの屋根板を磁石で留めている。

 これらはAmbroid のキットとQuality Craftのキット、それと後者の後継者のGroor Craftのキットである。1960年代はこのようなキットがたくさん出ていた。筆者が集め始めたのは70年代である。その後、売れ残りを見つけたら買い求めた。50輌以上あるだろう。殆ど定価で買っている。安くはなかった。投げ売りが始まったのはこの10年である。Gloor Craftは 人気のあった機種を再生産して儲けた。 

 Ambroid は接着剤のメーカである。この種のキットを売り出したのは、その販売促進用だという説すらある。その接着剤は、樹脂を溶剤に溶かしたものをチューブに入れている。すこし粘り気の多いセメダインCのような感じであり、”Amber(琥珀)に似た物”という意味の言葉である。そんな色をしている。昔はそれを使っていたが、最近はエポキシ以外使わない。経年変化が怖いからだ。

the brace クイズを一つ。この写真は自動車輸送車の一部である。このブラスの筋交いは何のためにあるのだろうか。実はこの貨車は未完成である。あるものがまだ付けてない状態だ。それと関係がある。筋交いは車輌中ここだけに付く。
 点対称の位置、線対称の位置には無い。 


2018年11月01日

簡易バッフル付き空気清浄機

air purifiers ハンダ付けの時のフラックスの fume(煙・霧)の処理には困る。最近は中型の空気清浄機が3台揃ったので、殆ど問題なく吸えている。塩化亜鉛のフュームは金属を錆びさせるので問題だ。長い貨車をハンダ付けする時は、少し配列を変えるとよく吸ってくれる。
 右からバッタ屋で安価で入手したもの、粗大ごみの中から拾ったもの、新品をご寄付戴いたもの。さすがにこれだけ並べるとすごい効果である。背後から風が吸い込まれていくのを実感する。光が反射して、LED1灯でも手元がとても明るい。

fume collector 所属する模型クラブ員が来て、作業場として使っている。たまたまこの形の吸煙装置を持って来た方があったが、直前 5 cmで吸わせないと全く吸わないことが分かった。そこで廃段ボール箱を加工して無理やり押し込んだ。捨てる時困らないよう、内部は粘着テープでしか留めていない。上にヒサシを付け全体を前に傾けた。

fume suckerexhoust 加工の手順はこんな調子である。中に台として合板を接着し、その上に吸煙機を置く。排気部は箱の上の方に密着させる。隙間はすべてマスキングテープで塞ぐ。

buffle バッフルには縁を付け、それを向こう側(吸煙機側)に向けた。こうすると、空気の流れがより自然になる。上下左右の隙間は 25 mm程度あけて取付けた。段ボールと合板は、水性ボンドで良く接着できる。
 風量が少ないので、このままではハンダ付けの煙は上に行ってしまう。少し手前に傾けると同時に、ヒサシを付けて前に出してある。これはよく効く。

fume sucker 結果は上々で、風量の少ない機種ではあるが、十分に吸ってくれる。配線作業などにはとても好都合だ。材料費はゼロに近い。
 中の汚い木の板は、バッフルとの隙間を少し狭くするように貼ったものだ。

2018年10月30日

続々 長い貨車

tri-level autorack 長い貨車の幅はやや狭い。紙の上で曲線上の車体を描いてみると、内側が当たることに気付く筈だ。車端はオウヴァハングが少ないので大したことは無い。
 普通の貨車よりやや狭い。客車と比べるとさほど長いわけもないが、急曲線を通すことを考えているのだろう。本線上は全く問題ないが、積み下ろしする引込み線はかなり急曲線だからだ。

test シュナーベル型の大物車はその点かなり考慮している。積荷部分が左右に油圧で動かせる。当たりそうなときはずらすのだ。
 シュナーベルの運行を見たことがある。弱い橋を通るときは最徐行である。高速だと衝撃で橋が落ちるからだ。


tri-level autorack of brass 自動車運搬貨車の積載許容荷重は意外と小さい。自動車は平均密度が小さいからだ。1台2トンとしても、15台で30トンだ。この動画は素晴らしい。
 この車種を好きな人が多いが、自作する人はまれだ。ほとんどの人は完成品を不満を持ちながら買っている。この記事にはレーザ加工で作る話がある。暇になったらやってみたい。自動車の模型は高価であるから、完全閉鎖型を作ると安くできる。自動車の形に切り抜いたシルエットを入れると、それらしく見えるかもしれない。
 写真の車輛はあとハシゴとブレーキ装置を作れば完成だ。渡り板は1枚ずつ作った。本当はフライスで溝を切る予定であったが、裏が網目板なので角材を貼った。ブラス板製だから丈夫である。かなり荒っぽいキットだったので、自作と言ってもおかしくない。キット中のアングル、チャンネルは使ったが、その他は自前である。ハンダが汚く見えているが、塗装すれば問題ない。 

2018年10月28日

続 長い貨車

auto carrier3 1段目を接着している状態を示す。これは、ゴムの代わりにテープを使っている。錘はまだ載せていない。接着部は点接触のように思うが、意外にたくさんの面積で接触しているから、かなりの強度で接着されている。おそらく、走行時に軽度の脱線事故があっても生き残るだろう。支柱は1本 6 g ほどで、24本あるからそれだけで 150 gである。未組の時、箱が重くて驚いたことを覚えている。

 この貨車は突出している部分が多いので、その部分は念を入れて接着する必要がある。たとえば隣の貨車との接続部には、渡り板がある。これを接着する時には、接着面をよく削って平面を出し、硬化時間中は適当な保持具で押さえねばならない。
auto carrier5 筆者はヤスリを用いる。目の立っている部分を使うと簡単に押さえることができる。接着面は小さな面積ではあるが、垂直に隙間なく圧着されていると、よく付く。この方法はハンダ付けに時にも役立つ。

auto carrier4 Xブレイスなども、すべてエポキシで付ける。二番目の写真の右上にある二液性エポキシ接着剤は、2つのシリンジが平行している。押せば自動的に等量出るので具合が良い。大きく "5 minutes"と書いてあった。多少古いものを、アメリカのバッタ屋で大量に買った。それ以来5年も経つが、問題なく使える。持ち帰るとき嵩(かさ)を減らすためにブリスタ・パックを捨てたので、何というブランドか分からない。多分これだろう。もう残り少ない。
 5分というのはいわゆる"working time"(付け外しが可能な時間)で、"setting time"(硬化時間)は15分である。未混合では硬めだが、混ぜると粘り気が減るから、隙間の上に盛り上げておくと、毛細管現象で吸い込まれてしまう。ぬれが良いのだ。

2018年10月26日

長い貨車

 1970年代のアメリカの鉄道では、85 ft(約26m)クラスの貨車が急速に増えていた。そのころは貨物列車を見て、新車を探すのが楽しみであった。この Autorack  車載専用車は3段でたくさん積めた。乗用車は15台載せていた。当時は現在のような屋根や側板はなく、開放型であった。長さは徐々に伸びて 89 ft(27 m強)まで行った。

 この貨車が好きで、都合4輌作った。1輌目は別会社の木製キットで1970年代に完成させた。実に難しいキットで、苦労した。接着部が少ないので、ショックに弱いだろうから、走らせられない。展示用だ。その後90年代に金属製キットを入手したが、単なるチャンネルと板の詰め合わせであった。これがキットと言えるのか、という程度のものであった。図面も怪しく、実感に欠けるところがあったので修正した。ハンダ付けなのでジグも要らず、作るは容易であった。組み立てたものは10年も行くえ不明であったが、最近発見された。重く600 g以上ある。補強材を足したためである。少しディテールを付ける必要があるので資料を当たっている。

 今回のキットの2輌は支柱がホワイトメタルでその他が木製である。支柱は24本あって、それに3段のラックが載る。接着している間にどうやって保持するかで悩んだ。友人は考えた末、「不可能だ。」と言った。しかし、何とかして組み立てたかった。

auto carrier2 丸一週間悩んで、ついにある方法を思いついた。側面の枠だけを型紙上で接着してしまう。つまり、格子状にするのだ。それを床板の隅に引っ掛けて二段目のラックを支点に上端を輪ゴムで軽く締める。仮留めはマスキング・テープでも良い。そうすると支柱の弾力の範囲であるから、支柱は床の隅に密着して留まる。もちろんある程度の錘をラックに載せると密着が良くなる。5分間エポキシを使った。

assembling autocarrier 支柱はかなり硬い合金で、曲がったりはしない。普通のホワイトメタルとは違う。ヤスリを掛けると快削であることがわかる。たまには捩じれているのもあるので、事前に修正するが、とても硬い。

2018年10月24日

床下

 筆者は床下は徹底して省略することにしている。シルエットにはこだわるが、線路際で横から見て、見えないものは一切付けない。
 貨車のキットでも、低床の場合は床下が全く見えないので、何も付けない。その場所に活字金などで作ったウェイトをどっさり付けることにしている。

Trailer Train (2)Trailer Train そう言う筆者も、さすがに省略できない貨車がある。このトレーラ積載貨車は床が比較的高いのと、側板がほとんど無い車だから、丸見えである。床下には太いspine(背骨)があり、それにrib(肋骨)が生えている。スパインには活字金が満載だ。リブには補強もある。この三角のリブにはさらに前後3枚ずつ6枚の補強板が付く。

 ブレーキ管も丸見えである。こういう場合は付けざるを得ない。最近、発掘された5輌を含め10輌を完成させている。もう無いと思っていた貨車キットが先日どっさり見つかった。安いものは記憶に入っていない場合があるのだ。この10年ほど、木製のキットは組める人が居なくなったらしく、捨値で出ることがある。1輌7ドル、5輌で30ドルほどで買っているのだ。
 尤も、必要な物(台車、車輪、連結器、ディカル)は1輌当たり、30ドル見当掛かっているので、それほど安いわけではない。一番安上がりな調達方法は、台車と連結器が付いたボロボロの貨車を買って、車体を捨てることだ。それでも車輪とディカールは必要だ。
 そういう安いものを買うと、帰国してそのまま棚の上に上げて、そのままになる。

 レイアウトの作業が終わった後、帰り際の2時間程度の時間を振り向けている。夜間に接着剤が硬化するので具合が良い。2液性エポキシ接着剤を多用している。木材に浸み込んで固まるので、強力接着ができる。圧着にはブラス隗、鉄隗を用意してあるので、それらを載せて待つ。こういう作業には数時間で固まるものが適する。

2018年10月22日

続 signal bridge

signal bridge (3) トラスの問題は、この写真をご覧戴ければ解決していることが、お分かりになるだろう。しばらく前の関西合運での撮影である。
 直角三角形の板を作って張ってある。もちろんリヴェットを打ち出したものをハンダ付けした。接着でも良いのだが、ハンダ付けが容易なのでそちらを選択した。

 まだ信号機とか、歩み板を付けなければならない。これを見て欲しがる人が多い。レーザ加工は訳ないが、その後のリヴェット打ち、その他のことは意外と大変である。アメリカからも引き合いがあるが、どうなるだろう。

 問題は信号機の機能である。本線上にあるものは単純な閉塞信号で、それは試運転で解決している。本線上の渡り線、側線への出口などの表示は難しい。様々な会社の資料を見ているが、どれも異なる表示である。

 サーチライト型信号機を本線上に付けたいが、3色の表示を一つのLEDで行うのは難しい。緑とオレンジの色が変である。サーチライト型はレンズが一つで、中に光源と可動の色フィルタが入っているものだ。多色を発光するよいLEDが見つかれば良いが、難しい。大きいものは見つかるが、直径3 mmのものは無さそうだ。
 3色独立のものになるだろう。渡り線が作動している時には本線が赤にならねばならない。これはあるアイデアで簡単に解決した。閉塞信号とは無関係に赤に出来る。 


2018年10月20日

signal bridge

signal bridge (2) 現在工事中のレイアウトには自動信号機が設置される。信号橋はBachmanの怪しいプラスティック製がいくつかあるが、どれも気に食わない。二つをつないで長くしたものもあるが剛性がなく、電気工事をしているうちに空中分解しそうである。そうでなくても、いずれ振動で折れて大事故につながる。金属製のものに置き換えたかった。

 northerns484に相談して、新しく図面を描き起こして戴いた。あの怪しいトラスからは縁を切れる。極めて剛性の高いものができた。

signal bridge (1) レーザ加工の会社にお願いして、送ってきたままの状態がこれである。角が完全に出ているので、手を切りそうである。油目ヤスリで面取りを施して、嵌め合いになっているところをぐっと力を入れてプライヤで締めると、そのままくっついてしまう。こうして仮組みしてから、塩化亜鉛液を塗ってハンダ付けする。

 ステンレスの熱伝導率は極めて小さいので、素手で握ったままでハンダ付けが完了する。

signal bridge (4) ハシゴは溝に短く切ったΦ0.8の洋白線を嵌め込んで、締め付けると半固定される。これも塩化亜鉛液を塗ってハンダ付けする。洋白は軟らかく、ステンレスは硬いので、ヤスリを掛けると、つるつるのステンレス面が残る。こうして綺麗なハシゴが出現する。


2018年10月18日

pole lines

 6日のクイズのお答が2つだけであったのは、寂しい。例によってrailtruck様が正解である。

 友人から、一袋のホワイトメタル鋳物を貰ったのは、もう20年も前のことだ。それが何かわかるまで、しばらく時間が掛かった。ガラス製碍子である。透明感のある塗料を塗ればガラス風に見えるかもしれないという製品だ。

pole linespole lines2 最近博物館で図書の整理をしていると、様々な資料に行き当たる。1970年代のNMRAのData Bookというものがある。模型の工作法、模型の電気回路、実物の情報など、ありとあらゆることが載っている。最初の二つは既に殆ど価値がないが、実物の寸法などは役に立つ。電話ボックス、電柱、その他鉄道関連施設の寸法は、有難い。

poles その中で電柱(信号線)のいくつかの例があった。材料は丸棒と角材である。それとNBW  (nut, bolt, washer) もあると良い。NBWのロストワックス鋳物は最近どっさり発見された。丸棒は白木の箸を電気ドリルに銜え、サンドペーパで細くした。角材は薄板から挽き出した。図面通りにしたら、かなり細い。そのままオイルステインに短時間浸け、乾かした。こうすると表面に膜ができて、上塗り塗料を節約できる。
 あっという間に数本のサンプルができた。塗装してから碍子を付ける。

 今までNBWを使ったことが無かったが、これは便利である。釘の代わりになる。下穴を細いドリルであけて、強く差し込めばよい。もちろん接着剤を付けてだ。こういうものはばらつきがあると良くないので、型紙の上で作った。

reverse sidefinished poles 碍子はガラス製だ。無色のと緑色とがある。塗装後に水性接着剤で付けた。触らなければ落ちることはない。この接着剤はアメリカで買ったもので、硬化後は水に溶けなくなる。拡大すると粗が目立つが、普通の鑑賞距離ではそれらしく見える。

 電信柱はプラスティック製を大量に持っているが、あまり良くない。遠くの方は良いが、観客席に近いところはこの木製を使いたい。問題はこの碍子である。手に入らないので、作らねばならない。ソフトメタルか、ブラスの挽物にするかだ。どちらが安いだろう。   


2018年10月16日

続 鉛活字

 鉛は錘としてよく使われる。しかし融点が高い。328 ℃である。木材で鋳型を作ると、300 ℃を超えるので焦げて臭い。
 もう一つ具合が悪いのは、固まると体積が1割ほど減少するので、鋳型を工夫しないと思う形の物ができない。

cast lead and type metal この写真の手前のブロックを見て戴きたい。直方体の鋳型に、何も考えずに注ぐとこうなる。下から固まるので、上面は凹み、側面は内側に倒れ込む。これを防ごうと思うと、上からピストン状のもので押さえながら固まるのを待たねばならない。文字にすると簡単だが、やってみると極めて難しい。
 あるいは上に長く作って、下だけを切り取って使うかである。この方法を「押し湯」と言う。

 後ろにあるやや面倒な形のブロックは活字金で作ったものである。何も考えなくても思った通りのものができる。活字金は鉛80%、アンチモン17%、スズ3%からなる。この配合は絶妙な組み合わせで、固まるときに僅かに膨らむようになっている。即ち活字を鋳造する時、型の中の隅ずみまで金属が行き渡り、正確な活字を鋳造できるようになっているわけだ。

 今野氏は活字のブロック(正確にはインテルという)を接着して切削しているが、正確な鋳型を作って流し込むと、作った本人がびっくりするほど素晴らしいものができる。融点も低く 240 ℃であるから気楽にできる。臭いもせず、簡単だ。
 筆者の経験では、バルサ材の10 mm厚ほどのものを、釘で固定し、針金で縛ったものが良い。長いウェイトを作るときは縦に深くすると良いのだ。真四角のものができる。先回の写真の左手前のがそれだ。必要な分だけ切り取って使う。
 融かすのは、ステンレスのおたまが良い。叩いて、注ぎ口を作っておく。

 鋳造はコンクリートの土間の上ですると良い。室内でやると、こぼれた時に甚大な被害が生じる。
 鉛の害が喧伝されているが、ウソが多いことが分かっている。鉛活字を長年触っていた植字工が鉛中毒になったわけではない。珍しくWikipedia にはまずまずのことが書いてある


2018年10月14日

鉛活字

printing type 今野氏のブログで、鉛活字を加工する話が出ていた。

 鉛活字がその価値を失ってからもう10年以上経つ。初期のTMSには、活字を錘用に少し買いに行くテクニックが紹介されていた。
 印刷屋の小僧を装い、「8ポの”イ”を20本」とか、もっともらしい事を言って、活字屋で買う話だ。当時は活字屋という商売もあったわけだ。もっとも、東京のように出版が盛んな地域の話だろう。田舎にはない。

 さて、先日廃金属商にブラス屑、銅屑その他をどっさり持って行った時に、ドラム缶一杯の活字があった。
「どうだい、これ一杯で4万でいいよ。」
と言う。2トンあるらしい。とても乗用車には載らないし、そんなに使うあてもない。
「10 kgほど貰うよ。」と言って、適当な価格で買って来た。もちろん量りもしない。そこにあった小箱に山盛りである。

putting weight インクのついているのは融かすと煙が出るので分ける。軽く灯油で洗ってから使う。綺麗なものはそのまま接着するが、細いところに押し込みたいときは鋳型を作って鋳込む。
 タンク車は完成後の補重は難しい。設計時に材料をたくさん使って重くしておくべきだ。既製品の場合は主台枠の骨の中に押し込むしかない。
 左は鋳造品、右は活字そのものである。隙間なく詰め込むと当鉄道の規定質量に到達した。実は先日の車検で20輌ほどが質量不足であった。
 1.6%の坂を押上げると、連結部が座屈することがある。そういう車輌は決まっているのだ。測定すると、355 g必要なところ300 gほどしかないのだ。この55 gほどが、決して無視できない結果をもたらす。いつも同じタンク車が座屈するので、きっちり詰め込んで、すべてを同じ質量にした。
 
 結果は上々で、全く脱線せず80輌の押上げが可能であった。


2018年10月12日

ブレーキ

 鉄道のブレーキは自動車に比べれば効きにくい。摩擦係数を考えれば自明だが、それが分からない人が居た。

 川端氏の体験談だ。関西線八田駅近くで、単機回送のC57を運転していたところ、踏切にトラックが入り込んでエンストしたらしい。すぐに急ブレーキを掛けたが間に合わず、トラックをはねた。そのトラックはばらばらになり、運転手は即死した。

 処理は終わったと思ったが、検察庁から二度も呼び出しが来た。そのトラックを見つけてからブレーキを掛けるまでの時間を問われたそうだ。すぐに掛けたと言っても信用しない。
「列車を牽いているならまだしも、単機回送なのだから直ちにブレーキを掛ければ、急停止できるはずだ。ぶつかっても仕方がないと、漫然とした運転をしていたに違いない。」
とその検事は嫌疑をかけ、主張を曲げない。
「どんなに急ブレーキを掛けても、止まれないものは止まれない。」
と言っても聞かない。話は平行線をたどり、実際に運転して現場検証をすることになった。

「はいそうですか、どうぞ。」
とやってみたところ、絶対に停止出来ないことが分かり、そのまま”嫌疑なし”で不問となったそうである。

 その検事は当時の県知事の甥であることをひけらかしたそうで、「腹の立つ奴だったなぁ」という感想であった。
 機関車が急ブレーキでつんのめるように止まることを想像すると、漫画のような珍妙な光景が思い浮かぶ。どうしてこんなことが分からないのか、筆者には理解できない。 

2018年10月10日

御召し列車

お召し列車運転速度曲線 御召し列車の運転を任される機関士は、誰が見ても納得する人が選ばれるのだそうだ。結局のところ、そんな人は数多くはいないので、いつも同じ人が選ばれることが多いらしい。


 蟹江駅で被災したC57139は御召し列車に使われる機関車であった。ブレーキは多少効きにくいそうだ。わざとそうしてあるという話を聞いた。御召し列車では客車のブレーキは殆ど使わない。機関車のブレーキだけを使って止める。ショックが無いように、停止位置が所定の位置からずれないように、最深の注意を払って運転される。

 現在そのC57139は名古屋の金城埠頭にあるリニア・鉄道館にある。以前は千種駅北の旧国鉄の教習所であった中部鉄道学園にあった。名前が社員研修センターになってからもしばらくそこに置いてあった。聞くところによると、管理者側は持て余していたそうだ。

 以前はあまり感心しない状態であったが、現在は磨かれて置いてある。問題は、その保管場所が名古屋港内の0メートル地帯 低地にあることだ。潮風の問題(室内でも海塩の粒子は入り込む)と津波の問題がある。次の地震で押し寄せる津波は 5 mほどと予測されている。甚大な被害を受けるだろう可能性がある。こういうところに博物館を設置することにためらいがない、というのは理解できない。

<追記>
 ゼロメートル地帯ではないというご指摘を受けたので、表現を変えた。津波の予測高さは諸説あり、湾内であることを考えてもその程度はあると考えられる。現場に行って見た感じでは、設置場所の標高は低過ぎると感じている。
 津波は大きな潮位変化と考えれば、施設内各所にある排水溝から水が逆流することが想定されるが、果たしてそのようなことには対処されているのだろうか。
               2018年10月11日     

2018年10月08日

豊橋空襲

 川端氏は昭和20年6月19日夜、乗務中に豊橋空襲を経験している。
 それは23時52分着の上り列車であった。3分の停車であったが、駅に到着するとすぐに駅長が走ってきて、すぐに出発せよと言う。旅客列車は、所定の時刻表より早く出発することが禁じられているにも関わらず、直ちに出発するように急かされたのだ。
 その駅長は山口氏、機関士は木村氏である。川端氏は機関助士であった。連絡を受けているうちに、少し離れたところで爆撃が始まった。機関車C59は全力を振り絞り、豊橋駅を離れた。駅構内を出て後ろを振り向くと、駅に爆弾が命中して、周辺は火の海となった。後1分出発が遅れたら、乗客1000人もろとも吹っ飛ぶところであった。まさに間一髪であった。 

 戦後、豊橋空襲が一体いつ始まったかということはよく分からず、19日の夜だという説と20日の午前1時ころとの説に分かれていたという。慰霊祭をいつにするかでいつも揉めていたのだそうだ。
NHKTV 昨年、それを聞いた川端氏が証言して決着が付いたのだそうである。乗務員は時刻を正確に認識している。当時の時刻表も見せて貰った。確かに11時52分着、55分発である。定時到着であったそうであるから、爆撃開始は11時55分前後である。これはNHKで放映された。
 川端氏は数字に強い人である。非常に細かい数字を完璧にそらんじている。

満州国皇帝溥儀乗用列車運転速度曲線 さらに珍しいものを見せて戴いた。満州国皇帝であった愛新覚羅溥儀が日本に来た時の、御召し列車の運行計画表である。実際に予行演習で走ってみて、その結果も書き込んである。その機関士であった人から貰ったものということだ。満州国の国旗もあったそうだが、それは畏れ多くて貰わなかったそうだが、あれば貴重なものである。満州国の国旗は黄色を基調としている。その国旗と日の丸を交差して機関車前方に付けたのだそうだ。


2018年10月06日

川端新二氏の来訪

 先日川端新二氏のお宅にお邪魔してお話を伺った際、当博物館の話題が出た。川端氏も、椙山 満氏のところに何度も訪問されているから、模型は嫌いではないと思った。いらっしゃいませんかとお誘いすると、見たいとおっしゃるので、車でご案内した。

114_4574 レイアウトを見た感想をお聞きしたが、その中で一番印象に残ったのはこの転車台での機関車の状況だ。この写真は2年前のものを再録している。
「これは正解。機関車が外を向いて止まっている。なんでだか、わかるか?」
「外に向かって開いているから、作業する場所が広いからでしょうか。」
「いやそればかりではないよ。逆だと何が起こるか考えてみよ。」
工学エキスパートのT氏と頭をひねったが、思い付かなかった。

「たまにはドジをする奴もいるんだ。機関車が落ちると大変なんだよ。テンダが落ちても軽いからね。すぐ引き上げられるさ。機関車はそういかんよ。重いからね。落ちるとたぶん壊れる。修理に何日も掛かるだろう。テンダは水さえ漏れなければどうってことない。梅小路では機関車を転車台の方に向けているが、客受けを考えているんだろうね。」
ということであった。意外な答ではあったが、なるほどと思った。
川端新二氏 蔵書を丹念にご覧になって、この本は珍しいとか、様々なご意見を頂戴した。




quiz ここでクイズである。これは何だろう。大きさは背景のグラフ用紙が参考になるだろう。ひと目盛り 5 mmである。ピントが浅くて、手前のがぼけている。矢印のが形をよく表している。大きさは3種あるように見える。
 下が曲がっているのは、塗装時に穴から抜けにくくするために曲げた。最終的には切り落とす。色は緑を塗るように指定されていた。

2018年10月04日

機関士

Engeer Takashi Fukui 福井機関士の話を聞いて気が付いたのは、機関士は判断力が全てだということである。Big Boyの機関士Tom Harveyも同じことを言っている。

「蒸気機関車の時代は、すべてを機関士が判断した。ところが、ディーゼルの時代になると、dispatcher(列車指令)がすべてを握っている。機関士は名前だけで、単なるスイッチを入れたり切ったりする仕事に成り下がった。無線電話というものがすべてを破壊した。どうしてこの経験ある優秀な機関士が、生意気なディスパッチャの指示を聞かなければならないのだ。そんな指示よりもっとうまい手があると言っても、いうことを聞かない。」
 Tom は、よくブチ切れていた。
 
 伊勢湾台風の時は停電し、鉄道電話も不通だった。現場の判断しかないのだ。今のJRの機関士に同じことができるだろうか。もちろん停電したらすべてアウトだが、機関車は動くとしても難しかろう。ちょっとした事故の時に後ろから見ていたが、Tomの言う通りで、列車指令の言うとおりにせねばならない。あの程度の仕事で良いなら筆者でも務まる。

 しばらく前に、八田駅と蟹江駅の中間に新設された春田駅の構内で、すれ違うはずの貨物列車が線路有効長より10mほど長く、対向列車が構内に進入できないという間抜けな事故があった。手動なら簡単に解決するが、CTCで遠隔操作しているので、解決法がない。残念なことに半日も不通であった。
 どうやって解決したのか知らないが、CTCは全能ではないことを思い知ったに違いない。プログラムが更新されたかどうかは知らない。

2018年10月02日

続々 217列車

 機関助士の水谷久(ひさし)氏の家は養老方面にあった。桑名方面は水没しているので、名古屋、大垣廻りしか帰れないだろうと思った。3日目になっても見込みがないので、線路伝いに歩いて帰ることにした。10 kmほどを3時間以上掛けて歩いて、名古屋機関区に戻ったら大変な騒ぎであった。沢山の人が被災した。勤務中に妻子4人全員を失った機関士もいた。

 放置された客車には、家を失った人たちがたくさん住み着いた。この写真では周りの水は無くなっているが、堤防閉め切り工事が完成して排水が完了し、すべての陸地が姿を現したのは、2か月半後の事である。国鉄関西線は2か月運休し、その間に近鉄は突貫工事で狭軌を標準軌に敷き替えた。
 奇しくも9月26日は近鉄の標準軌化に備えた新しい木曽、揖斐長良橋の完工式典の日であった。式典の途中でテントが飛びそうになったらしい。このあたりのことは、youtubeで記録映画が見られる。
 筆者の学校は水没したので、1月まで学校に行かなくて済んだ。

Engineer Takashi Fukui 2 福井機関士は、国鉄総裁から人名救助で表彰され、のちに内閣総理大臣表彰も受けた。
「あの場面に居たら、誰でもそうする。そうする以外ないのだ。大したことではない。」
とは言うが、300人の命を救った判断は的確であった。蟹江駅付近は3 m以上の水深になった。そのまま停車していたら、多数の犠牲者が出たであろうことは間違いない。そもそも、八田で運転を打ち切っていれば、問題は無かったはずだ。鉄橋から列車が吹き落とされた可能性はあったが、そのことは不問にされた。

 先行列車のC55は桑名の次の富田という駅で足止めを喰らった。デッキまで流木に囲まれて止まっている写真を見たことがある。
 桑名駅が水没から脱したのちは、桑名に名古屋機関区の支区が置かれ、亀山、四日市方面からの列車は、桑名どまりであった。旅客は近鉄養老線経由で大垣方面に行った。
 急行「大和」は運休、急行「伊勢」は草津線経由となった。C55、C57、D51などは、転車台がないのでバック運転で列車を牽引した。筆者は、蒸気機関車がテンダを先にして運転しているのを見て驚いた。

 中学校の体育倉庫には遺体が並べられ、校庭でガソリンをまいて荼毘に付した。茨城の伯父が、はるばる3日も掛けて、養老線経由で大量の衣類、食料を担いで見舞いに来てくれた。

2018年09月30日

続 217列車

 このまま増水すると危ない。既に水は客車の床あたりまで来た。まだ火が消えることは無い。機関士は列車を前進させて橋の上に行こうと思った。橋までは築堤で周りよりは高い。洪水からは逃れられる。駅長に出発すると伝えたが、ポイント切替のテコが流木で壊れていることが分かった。保線の人は水に飛び込んで、手探りで壊れている部分を探し出して外した。前照灯の光で照らし、かなり苦労して切替えたのち固定した。当時は蟹江駅には保線支区があったのだ。
 切替え完了の合図を受けて、機関車は汽笛を鳴らしながら暴風雨の中、濁流を掻き分けて前進した。風は強く、機関車がぐわぐわと揺れた。これは異常な事態だ。

 どんどん進んで橋の上に来た。機関車だけが橋の上に載っている状態でブレーキを掛け、手歯止めをした。いろいろなものが飛んできて、機関車にぶち当たる音がした。この川の水はまだ溢れるほどではなかった。
 真っ暗で何もわからなかったが、ただとても寒かった。雨合羽を体に巻き付けてしのいだ。

217列車 凄まじい数時間が過ぎ、朝になった。驚いたことに周りはすべて海になっていた。堤防の上の踏切を塞いでいるので、少し下がるべきだと思い、列車後端が水に浸からない程度まで下がった。そこで再度手歯止めを掛け、今後のことを考えた。(この写真は中日新聞社発行の「忘れない伊勢湾台風50年」p.18を拡大したもの。9月29日の撮影とあるから、3日目で多少水位が下がった状態である。)

 これは大変な災害だ。前のほうには桑名や四日市があるが、低い土地だからとんでもない被害を受けているだろう。さりとて後ろに下がろうにも水の深さは 2 m以上もある。これでは無理と考え、機関車の火を落とした。客車に乗っていた人たちは少し減った。近くの人は自分の家まで水の中を帰ったのだろう。遠くの人も徒歩で帰ろうとしたらしい。しかしそれは不可能であった。泥水が見渡す限りに広がっている。近所で被災して家を失った人は、客車に乗り込んできた。

 二日目の夜が来た。とても寒く、客車の中でまたもや雨合羽を着てしのいだ。食料はまだ来ない。駅から水を貰ったが、茶碗に一杯ほどしかなかった。次の日にパンを一つ貰った。それだけである。


2018年09月28日

217列車

福井孝之機関士 その日、217列車は6時50分に6輌編成で名古屋駅を出た。機関車はC57139であった。亀山まで2時間弱の乗務である。
 機関士の福井孝之(たかし)氏は30歳になったばかりで、関西線の乗務はその日が初めてである。台風が近づいているので、運休になるかもしれないと思っていたが、定時に発車した。
 最初の駅の八田で停車した時、機関車が風で揺れたのを感じた。ただ事ではない。ところが駅長は信号を進行に変え、発車を促した。厄介払いしたかったのかもしれない、と感じたそうだ。
 列車は強風の中、築堤の勾配を登り、庄内川の鉄橋を渡った。その時、風で吹き落とされそうに感じたそうである。機関車が傾くのだから、客車は片輪が浮いたかもしれない。ともかく無事橋を渡り、次の駅の蟹江に近づくと、すぐ手前の福田川は堤防まで満水で溢れそうであった。
 
 蟹江駅に到着すると風はますます強さを増し、飛んできた瓦が機関車のボイラにガンガンと当った。これはまずいと思う間もなく、福田川の堤防が決壊し、水が流れ込んできた。流木がドドンと客車に当ったが、水の深さは腰のあたりで、まだ命の危険は感じなかった。困ったことに、客車の床下になだれ込んだ木材で、ブレーキ管が破損した。このままでは動くことができない。
 すぐに破損車輛を切り離すことにする。3輌だけにするのだが、連結部は既に水の中で、流木の中の危険な作業だ。手間取ったが、切り離しには成功した。辺りは停電し真っ暗だ。蒸気機関車は有難いことにタービン発電機を持っているから前照灯、キャブ室内灯は点く。近所の人たちは駅に逃げてきた。浸水して家には居られなくなったのだ。その人たちも客車に乗った。その時水はそれほど深くない。まだプラットフォームの上の水が、線路の方に流れ落ちる状態であった。火室の火が消える心配はなかった。


2018年09月26日

伊勢湾台風

 今年も9月26日がやって来た。あれから59年経つ。その日は土曜日であった。行きたくない学校に着いたら、教師が「今日はもう帰りなさい。」と言う。校門を出たところで、木琴を置いてあったことを思い出し、取りに戻った。既に風は強く、それは生ぬるい風であった。
 木琴を持って帰ったのは正解で、学校は1か月ほど水没した。市内は完全に床上浸水し、潮の干満が家の中でもわかった。3日目の昼過ぎ、自衛隊が助けに来てくれた。なんと上陸用舟艇で海から上がってきたのである。中学校は自衛隊の基地になって、ヘリコプタの発着場になった。水が引いても、市内は泥の中であった。学校のピアノは海水に浸かり、全ての板が反りくり返って、バラバラになっていた。

 鉄道は2か月運行できなかった。その間に近鉄は”広軌化”し、国鉄に差を付けた。そのあたりのことは、井上 晴の小説「傾ける海」に詳しい。
 国鉄の蟹江駅を出てしばらく西に行ったところの本線上に、列車が2か月ほど止まっていた。駅に止まっていたら浸水が始まり、客車の床まで水が来たのである。機関士は、このままでは危ないと判断し、西進して鉄橋に這い上がったのだ。客車は6輌つないでいたが、切り離して3輌だけで駆け上がった。

 そのまま汽車は止まり、家を失った人はそこに住み着いていた。機関車は潮風で赤さびが出て、見るも無残であった。客車には10家族くらいが居た。

 その機関士が、10年ほど前新聞に紹介されたので名前が分かり、今回川端氏の紹介で健在であることを知った。一次情報蒐集家としては、どうしても会っておきたかった。新聞の記事は、どうも腑に落ちないところがあった。鉄道のことを知らない記者が書いているから、仕方がないのだ。

Engineer Takashi Fukui 3 その機関士は福井孝之氏である。89歳の今も、お元気で車を運転されている。駅まで迎えに来られて、乗せてもらった。信号で止まる時、一般人は減速率を変化させるのが通例である。福井氏は一定の減速率で、目的の場所にきちんと止まった。それは職業柄の癖であろうが、見事であった。


2018年09月24日

Kemalyan氏

 ケマルヤン氏は、走る鉄道模型の開発に貢献した人である。造形も素晴らしかったが、様々なアイデアを鉄道模型に応用した。
 初期の段階においても、ウォームを機械で削り出したものをそのまま使うな、と指示したらしい。必ずバフを掛けて、表面をつるつるにせよと言ったのである。要するにウォーム歯車の損失の大部分は摩擦損失であることを知っていたのである。効率を上げるには、これに勝る方法はない。

 台車では、軸を細くせよ、軸に熱処理をせよ、という指示も出している。当時の標準は軸が 3.2 mm径、あるいは 3.0 mm径であったところを1.5 mmにした。細くすれば仕事量が減り、摩擦損失は小さくなるのは当然であるが、誰もしなかった。

 この車輪のフィレット半径を大きくしたのは誰なのかが知りたかった。それは、意外にもカツミの高橋 淑氏であった。
「理屈は分からないが、とにかくフランジが当たらなければ抵抗は減るだろうと思った。」とのことである。正解だが、これ以外にはその応用例がなかったのは残念である。

KTM trucks USA version 台車はアメリカでよく見る、小物入れの透明ケースである。スポンジは日本のものとは手触りが違う。30年以上経っても劣化していない。
 日本からは裸で送って、アメリカで箱に詰めたらしい。 


2018年09月22日

roller bearing trucks

 この台車枠は素晴らしい。過去のKTMのどの台車とも違う合金が使ってある。やや重い亜鉛合金なのだが、色が白い。シルミンのような色である。かなり快削性がある。
symington-could trucks 説明書にはvirgin Zamakとあり、劣化しないとある。その軸受けはグラファイト粉末を入れた Delrin ということで、鋼製軸との摩擦を減少させ、10年間の保証を謳っている。この種の文章は鉄道模型界では極めて異例である。車輪は鋼製で黒色処理がしてあり、減りにくいとある。それは10年ほど走らせているから、よく分かっている。 また、振れもない。

modifying trucks 筆者はこの軸径がΦ1.5であることに目を付け、内径1.5、外形4.0のボ−ルベアリングを大量に持っているので、嵌めてみようと思い立ったのだ。デルリンに嵌め込むのは難しい。小さなものを加工しても心が出ないのである。ブラスの棒から挽き出した。筆者は同じものを12個以上作る作業はしないことにしている。これは8個だから良いだろうと思ったが、ベアリングがきちんと嵌まるような加工は難しく、20個ほど作って良いものを選んだ。さらに外からベアリング・キャップが嵌まるので、それからも控えなければならない。

 ロックタイトで固定した。液が中に入らぬよう最深の注意を払って組み立て、放置して固まるのを待った。結果は成功であったが、とても疲れた。

 板バネは少し加工してコイルスプリングの代わりに入れ、これはスーパーXで固定した。カブースに付けて試走させた。合格であった。  

2018年09月20日

Japanese market

 KTMという会社は、戦後長らく輸出用には最高のものを、国内需要には二級品をというポリシィを持ち続けて来た。ライアン氏による鶴の一声で、輸出用には厚い板を用いた工芸品を作ったが、国内向けはIMPの時代のままと言ってよいものしか売り出さなかったのだ。

for Japanese market このUS Hobbies向けの台車も、その路線を踏襲している。国内でこのローラ・ベアリング台車を手にしたのは1970年代の最後だと思う。いやな色をした車輪でフランジが直立に近く作られていた。こんなものでは満足できなかった。一組手に入れただけで、そのまま抽斗に入れて20年以上経った。

KTM case 2005年頃に土屋巖氏とアメリカに行ったとき、この台車のアメリカ仕様を大量に手に入れた。それには、随分良い車輪が付いていた。箱はいかにもアメリカ製のポリスチレンの綺麗な箱で、大きなKTMのロゴが金色で箔押しされていた。既に韓国製の時代になり、日本製は過去のものとして人気がなくなって、割安であった。価値の分からない人は多いのだ。

without bearing cap 軸は細く Φ1.5で、熱処理した軸である。硬い。軸受はデルリン(ポリアセタール)で摩擦が少なく、無潤滑でも行ける。軸の先端には、ローラ・ベアリングのキャップが嵌まっていて、それが回転するのが見える。RP25の枠組みの中にある。
 ボールベアリングやピヴォット軸受には負けるが、かなり優秀な転がりを示す。無給油で1%の坂を転がった。注油して重いものを載せると、0.75%以下で転がった。決して悪くない転がりだ。 

pseudo Low-Dpseudo Low-D2 この2枚の写真をご覧戴きたい。鉄レイルの上をよく走らせてあるので、黒色処理が磨り減っているが、フランジに触っている形跡がない。フィレットのRはかなり大きい。フランジ角も小さい。Low-Dと同じ考え方である。

2018年09月18日

leaf spring

leaf spring この写真はUPのカブースの台車を取り替えたものである。このタイプの台車があったかどうかは別として、少々工夫したものである。間違って多過ぎる窓は、塞いで埋めた。リヴェットを打った板を貼って丁寧に削り、段差を無くした。

 貨車の台車はコイル・スプリングで懸架されている場合が多い。コイル・スプリングは 摩擦損失が殆どないので、振動が減衰しにくい。普通の貨車はともかく、カブースは、それでは具合が悪い。乗員が振動(共振振動数の問題が大きい)でどうかなってしまう。客車のような減衰力のあるバネで懸架されるべきだ。
 模型の台車のうち、リーフ・スプリング(重ね板バネ)を付けているものは少ない。仕方がないから作る。バネの形をした鋳物を半分に切り、台車のコイルバネの部分を削って、嵌め込む。ハンダ付けかエポキシ樹脂で接着する。

 たまたまリン青銅板でできたバネを見つけた。KTM製のローラ・ベアリング台車のコイルバネを外して嵌めると良さそうだということに気が付いた。後述するが、かなりの手間を掛けて嵌め替えに成功した。同時に、ボールベアリングを仕込んだ。もう一回やれと言われても、やりたくない面倒な工事であったが、取付けに成功した。

 この台車はKTMの製品中、断トツによく出来ている。アイデアはケマルヤン氏で、設計は酒井喜房氏である。軸の摩擦が少なく、長持ちする。この車輪の形状が不思議なのである。


2018年09月16日

ダイヤモンド・ホィール vs. 鋼

 最近はダイヤモンド工具が安い。百均の店に行くと様々な先端工具がある。さすがにダイヤモンド・ホィールは見たことが無いが、通販で購入すると安くて驚く。

 鋼材(鉄合金)をダイヤモンドホィールで切る話を、時々ウェブ上で見かけることがある。ご本人は気が付いていないようだが、あまり感心しない話である。ダイヤモンドは鉄と反応するからである。高温では炭化鉄になってしまう。

 例えば、モータのシャフトを切る時、ダイヤモンド・ホィールの直径を測定してから切ると、切断後少し小さくなっていることに気が付く。減るのは当然だと思う人もいるが、切断砥石を使った時は減り方が少ないはずだ。しかも速く切れる。

 ダイヤモンド・ヤスリで鉄合金を削るのはダメなのかと聞かれることもあるが、それは構わない。要するに温度が問題なのだ。赤熱したり、火花が散っているようではいけない。ヤスリ掛けでは、そんな温度にはならないから問題ない。

 旋盤でダイヤモンド工具を使う人は、アマチュアではいないだろうが、ゆっくり廻す分には問題ない。ダイヤモンドは熱伝導率が極めて大きいので、赤熱することはないはずだ。余談だが、こんな事例がある。

 そんな大きなものは持ったことは無いが、ダイヤモンドの薄板を温かい指で挟んで、氷に触れさせると、氷は融けてダイヤモンドが食い込んでいく。指は冷たさを感じる。ダイヤモンドは金属よりはるかに熱を伝えやすいものである。


2018年09月14日

曲がったブラス板を平らにする

 薄いブラス板を落として、角がくしゃくしゃになった経験はないだろうか。ペンチで修正しても、細かい凹凸が残っている。普通の方法では直らないから、新たな材料で作るしかない。

ヤスリによる塑性変形の応力 昔、伊藤剛氏に教えて戴いた方法を紹介する。とても簡単な方法である。平面を見せたい方の面を下にして傷の無い金床の上で粗いヤスリを被せて、叩くのだ。もちろんヤスリを普通のハンマで叩くと傷が付くし、ヤスリも折れてしまうかもしれない。筆者はゴムハンマで叩く
 剛氏のオリジナルの方法は、ヤスリと共に万力で挟むということであった。筆者の万力の口金は模様があって、それが転写されてしまうから、傷の無い金床の上で叩く。もちろん、傷の無い鋼板と粗いヤスリとで、挟んで締めても良いのだ。少し伸びて大きくなるから、縁は削って修整する必要が生じるが、平面が戻る。この方法は、星打ち(七子目ならし)と呼ばれるらしい。

 理屈は一言で言えば、なるべくたくさんの部分(体積にして)が、塑性変形の応力を受けるようにすることである。ヤスリの尖った部分がブラスにたくさん突き刺さって、どこもかしこも塑性変形するわけだ。ペンチで曲げても部分的にしか応力は加わらないから、一部しか変形、修正されない。だから、へなへなのままである。

nanako 精密機械やメータなどの測定機の中をあけると、ベースになる金属板に無数に細かい傷がついているのをご覧になった方もあるだろう。あれこそがこの方法が応用された実例であるとのことだ。平面の板が必要な時は、この方法を使う以外ないのだ。

 この話を剛氏から教えて戴いたのは、30年以上前のことである。時々やるが、とてもうまく行く。紹介記事を書こうと思ったが、どんな絵を描こうかと迷っていたところ、名古屋模型鉄道クラブ会報の、古い記事を再録する作業をされている濱島氏からオリジナル記事を送って戴いた。 早速絵を描き直して紹介した。

2018年09月12日

最新の切断機

LatestLatest3 つい最近購入したという切断機を見せて貰った。ぴかぴかで素晴らしい。筆者のも昔はこうだったのだろうか。いや少し違うと思う。
 加工する工作機械の進歩で、表面の粗さが違う。つるつるしていて、面取りも大きい。おそらく錆びにくい。錆びやすさは表面の粗さに関係がある。筆者のも細かいサンドペーパで磨って、油を塗っていた。だんだん面倒臭くなってきて、溶剤で洗ってクリヤ・ラッカを吹いた。それが段々変色して現在に至る。

latest3 新しいものには安全装置の針金が刃物の前に通っている。指を切らないようにという配慮らしいが、むしろ邪魔である。それよりも刃物と連動する押えがあったほうが良い。コメントで藤井氏が教えてくださった AccuCut には、それが付いている。良さそうだ。真似をして作ってみたいものだ。

 今考えているものはリンク式の押えで、トグル式クランプを使うものだ。テーブルわきに熔接して、ワンレバーで押し付けたいと思う。伊藤 剛氏のお得意のイコライザ機構を付けて、均等な押し付けを考えているが、AccuCut方式のほうが良いかもしれない。


2018年09月10日

続 切断機をカスタマイズする

0001607_3 ブラス板を固定するとこんな感じである。小さなクランプ二つで留めて、簡単に切れる。直角ガイドがあるから極めて楽である。




 これをクラブの仲間に見せると加工希望者が集まった。鉄工所の暇な時期を狙って注文することにしたが、問題は個体差である。
 長年の間に微妙な設計変更があり、固定刃の位置を微調整するネジが付いたり、足が太く長くなったりしていた。ハンドルのネジも当初は1/2インチのネジであったが、途中でM12になり、最近はM16のようだ。
 今のところ、固定刃の高さには4通りがあることが分かっている。即ち、テーブルの脚の長さが4通りになる。同じものを作れば安いが、異なるものを現物に合わせて作ると手間が掛かり過ぎて、高いものになる。
 脚の長さは一定として、シムを挟んで高さ調整というのが一番楽な方法であろう。

holes また、テーブルを固定せず着脱式にすると、送り装置を付けられるという希望もある。テーブルを付けると、足を取り付けるネジが外せない。そこで卓抜したアイデアが出された。テーブルに、その固定ネジを抜き取る孔を二つあけることである。ネジの頭の直径よりも大きな孔をあけるのだが、そこにワークが嵌まり込むことは無いだろう。


2018年09月08日

切断機をカスタマイズする

 遠藤機械が発売している切断機は、鉄道模型界では根強い人気を保っている。薄板を切るには便利な道具で 1 mm厚のブラス板が切れる。1200×365 mmのいわゆる定尺板(業界では小板という)を切ることができる。

 TMS1972年3月号の新製品紹介記事に出ている。当時の価格は12,000円だった。それが50年近く売り続けられている。確かに便利な道具である。しかし、ワークを手で保持しなければならないし、どうしても引き込まれる方向に力が掛かる。直角に切るのは少々コツがあって、そう簡単ではない。

plywood table 筆者は2本の足に大きな合板製のテーブルを付け、そこに留め具をネジ留めするようにしていた。マホガニィの合板の屑を用いた。合板は厚く、留めにくい。薄い鉄板で作れば小さなクランプで留められる。一念発起して簡単な図面を描き、友人の鉄工所に持ち込んだ。


0001607 テーブルは 180 mmの奥行(足の長さと同じ)とし、4本の支えで固定した。4 mm厚の板だから、踏んでも曲がらないが、それほど重くもない。1インチ(25 mm)のクランプで簡単に留められる。

0001607_2 直角に切りたい時の直角定規も同時に取り付けた。有効幅が 370 mmしかないので、365 mm幅の材料に対しては 5 mmしか余裕がない。細い角材の先を 2 mmまで削って熔接してもらった。ここの熔接は素人にはできない。プロの仕事である。筆者がやると真っ直ぐにはならない。
 これでざくざく切れる。

2018年09月06日

続 塗装ブース

 今野氏のブログに塗装ブースにバッフルを付けた例が掲載されている。段ボールを切って付けただけだが、好結果を得ている。
 Brass_solder氏のブログにも掲載されている。材料の弾力で浮かせてある。これでも良いのだ。他にも作例が見つかるが、隙間が左右だけしかないものもあって、それでは効果が期待できない。
 上下左右に均等な隙間があることが肝要である。また、風圧でめり込まないようにする。工作時間は5分も掛からないであろう。皆さんも、ぜひ採用して戴きたい。驚くほどよく吸われ、臭いがしなくなる。

vortex 筆者の作例はジャンクのコンピュータ用冷却ファンを4台並列に付け、その前に間口60 cm、高さ40 cmのフッドがある。バッフルとの隙間は20 mmほどである。バッフルの縁は後ろに曲げておくと、音が多少静かになる。渦が大きくなって、遠くに行くからである。

 内部には照明がたくさんある。白熱電球もついているから、少々熱くなる。カブリを防ぐためである。白熱電球は製造停止になったので、スペアをかなり持っている。バッタ屋に行くと投げ売りしていたから買い占めた。このような用途には不可欠だ。
 また、ターンテイブルがあって、ワークを回転できる。その上には餅焼き金網で作った台がある。風が抜けるので、細かいものを塗装しやすい。

 排気は全く継ぎ目のないパイプで外に抜けている。外で上に行って雨が入らない形の煙突につながる。屋外で排ガスが漏れる分には問題ないが、室内では洩れないようにした。

 早く完成させて写真をお見せできるようにしたい。最近のような湿気の多い時期は、外では塗装ができないからだ。塗装待ちがかなり溜まっている。既に埃が付いたのもあって、洗わねばならない。無駄な仕事が増えてしまった。

2018年09月04日

塗装ブース

 塗装ブースの設計に関することで、問い合わせを戴いた。現物が今はないので写真をお見せできないが、基本概念だけは図で説明できる。

 様々な形の塗装ブースが発表されているが、そのほとんどは気休めの域を出ていない。大量の空気を吸えばそれで良いはずだが、現実にはワークに当って跳ね返ったものは吸い込まれないこともある。ある友人の塗装に立ち会ったことがあり、部屋中にシンナの臭いが立ち込めたことが、それを裏付けている。

 少ない風量で、完全に近い吸い込みを期待しようと思うと、風速を上げることである。風量が限られているから、断面積を小さくするしかない。

fume hood 化学実験室には、fume hood(日本ではドラフト・チャンバーという怪しい言葉が使われている)がある。有毒なガスが出る実験はこの中でやる。そのガスが重いか軽いか、によって下の出口をあけたり、上をあけたりする。その手前にはバッフルという板があって、空気はそこの上下にあるスリットのどちらかから吸い出される。よくできた装置では、少ない風量で完全に吸い出される。前面のガラス戸も汚れない。これを見て閃き、自宅の台所の換気扇を改造した。

kitchen hood 30年以上前に住んでいたマンションの台所の換気扇は、何の工夫もない単なる箱状のもので油煙は溢れ出し、部屋が汚れた。風量を増すのは大変だったので、中にバッフルを吊り下げた。アルミ板を曲げてぶら下げただけだったが、効果は覿面で、煙は完全に吸い取られた。

 kitchen hood improved 煙はバッフルに当って横に移動する。その端の部分の流速は、今までの10倍ほどもあるので、煙ははみ出すことなく吸い取られる。おそらく、当時そのような台所換気扇は日本で唯一であったろう。特許を取っておけば良かった、と今でも思う。しかしその特許が売れたかは怪しい。このバッフルつきが商品化されたのは、ここ数年のことであるからだ。その購入者も理屈を理解しているようにも見えない。ただ意匠上のことだと思っているようだ。上記のリンクのカスタマーレビューの中にも、”カバーがある分吸い込み能力は並”と書いてあることからも推測できる。ずっと性能は良いはずである。メーカは、どうしてその機能を謳わないのだろう。
 
 その後転居して、現在の住居では油煙の出る物は外で調理するので、コンロの後ろから上にせり出して来る、簡単な局所換気扇で用が足りるようになった。(リンクは一例である。筆者宅のはもっと原始的なものである。) 

 現在の住居に引っ越してから、模型の塗装は外でやるようになったので、塗装ブースは作りかけて何年も放置されている。バッフルも用意したがまだ付けてない。


2018年09月02日

崖の表現

 崖の表現は古くからの課題であった。日本にはレイアウトは少なかったが、椙山 満氏、古橋正三氏らのレイアウトを見せて戴いた時に材質を確認した。当時は金網石膏タイプが多かった。その後、紙系材質の骨組みプラスタの組合せが増えて来た。最近は金網・ポリエチレン・紙・プラスタになってきたようだ。

 アメリカの雑誌を読んでいたら、この方法に行き当たった。ただし、全くリアルでなく、すべての層が水平に積んであるだけであった。材質はもう少し厚いホマソートであった。それでもかなり岩の感じが出ていた。

 自宅を建てたときの材料を残してあったのと、近所の工事現場で廃材置き場を丹念に見て集めておいたものを使っている。
 ナイフで切ることができるが、刃はすぐダメになる。硬い成分が含まれているからだ。折るときは、先回の写真のように半分を足で押さえて、残りを当て板をして踏む。切り口はランダムに割れ、なかなか良い。

 貼り終えて接着剤が固まったら、刷毛に水を付けて地層に沿って左右にこする。こうすると、多少丸味が付いてより実感的になる。穴は事前にかけらを突っ込んで塞いでおくのは言うまでもない。


2018年08月31日

崖の素材

 何人かの方に種明かしを迫られたが、沈黙を守っていた。これは天井のタイルである。日本語ではなんという言葉を使うと正しいのかよく分からないが、商品名は大建ダイロートンと書いてある。かなり安いものだが、工事現場で捨ててある半端品を貰って来たからタダである。
 材質はロックウール(石綿とは異なる人工物である)とセルロースだろう。後者は不燃加工してある。

cutting apartbreak it それを 7 cm程度の幅に切り、半分に割って切り口を露出させる。表面は多少人工的であるので、下を向けて見えないように積む。



making cliff 全体の褶曲の様子を頭の中で描いて、ある程度の角度で積む。支えの合板にも接着剤を付けて剥がれて来ないようにする。



anticline この部分は背斜になっている。多分この下には石油が埋もれているだろう。だから石油タンクがあるというのは、出まかせである。


2018年08月29日

ユニヴァ―サル・ジョイントの不等速性

 現物を手で廻してみると、この辺りは速くなる、この辺りは遅くなるというのが分かるが、紙の上で説明するのはなかなか難しい。傾いた軸を回転させながら正射影を見ると、回転部分の円周は楕円を描いている。周速度は一定でも、正射影は一定速ではないのだ。

universal joint そんな説明ではだめであるが、例の工学のエキスパートT氏が、素晴らしい絵を描いて送って下さったので、紹介したい。これを見れば一目瞭然である。よくもこんなうまい絵を描けるものだと、感心した。



 優秀な人は易しい説明で相手を納得させるという良い実例である。自称専門家は、専門用語を並べ立てて、相手を煙に巻こうとするが、それは説明能力がないことを立証していることに他ならない。

 先回紹介した音で角速度の変化を示す動画では飽き足らず、T氏は角速度変化を目でみる装置を作られた。まだ改良の余地があるそうで、この動画はより良いものができれば更新するそうだ。
 途中の黒いリンク装置は動力を二つに分けるクランクである。歯車ではバックラッシがあって誤差が出るので、クランクにしたそうだ。その部分は見る必要が無いのだ。向こうの回転板は左右で位相差が分かるようになっている。追い越したり、抜かれたりする。

 反対側から見た動画もある。


2018年08月27日

阿里山のシェイ

 阿里山のシェイについては多くの方から情報を戴いた。古い写真を点検されて間違いを確認して下さった。
 結論として言えることは何も考えていなかった訳ではなく、間違った方向に統一したようだ。完全に孤立した社会で、他から全く干渉されなかったというのが、その間違いが温存された理由だろう。アメリカの場合は、シェイを使っているところがたくさんあるから、他所のを見るチャンスがあって、間違いを指摘されたりしたはずだ。

 トラックのドライヴ・シャフトの話も出たが、それは正規の位相しか組めないようになっているのだそうだから、間違いようがない。急勾配の曲線上で客貨車を押し上げている時、彼らは何を感じたのであろうか。振動して当たり前と思っているなら、悲しい。

 ちょうど友人のN氏が、1968年撮影というvideoを貸して下さった。DVDになっている原氏の台湾旅行記である。例によって撮りまくったもので、細かいところは一切写っていないが、当時の雰囲気は分かる。若かりし頃の 植松宏嘉氏の姿が写っていて、懐かしい。
 原氏は機械工学を専攻したことになっているのだから、気が付いてもよさそうだが、その件については何もない。

 最近のニュースによると、嘉義は大雨で浸水し、阿里山鉄道も運休のようだ。

2018年08月25日

再度 ユニヴァーサル・ジョイント 

 阿里山のシェイは混迷の度合いを増してきた。彼らは一体何をやっていたのだろう。曲線では異常な振動があるはずだし、駆動系の寿命も短くなる。 
 写真集もたくさん出ているが、それらも間違いを写している。撮影者や、編集者は何も感じないのだろうか。機構学の知識がなかったとしても、正しいシェイの写真を見たことがあれば、何かおかしいと気付くのが普通ではないか。

gear trainUV joint 実はしばらく前のことだが、博物館の図書の整理をしていて、1976年のNMRA Bulletin(会報)を見付けた。その中に無視できない問題があった。
 その記事は鉄道模型の動力伝達方式の研究で、10ページほどもある大論文である。モータの架装の仕方とかギヤトレインについて、細かく実例を書いてある。ところが、ユニヴァーサル・ジョイントの接続法が間違っている。丁寧に書かれた図が間違っている。説明文にも、90度捻るとある。これはどうしようもない。
 その図の上の方にゴムパイプでつなぐ絵があるが、ギヤボックスの反動受けの話もない。前後進で調子の違う機関車ができる。

 2,3箇月後の号に訂正が載るはずだと思って調べたが、見つからなかった。おそらくそのままになっている。NMRAも意外に低レヴェルである。AJINは間違っていたが、その図を見て間違えたわけでもあるまい。しかし、これは由々しき事態である。

 その後NMRAには車輪の件で何度も手紙を出して間違いを知らせたが、規格担当者の資質の問題で、ますますおかしくなった。その件もあって、NMRAとは縁を切った。アメリカの O scale の友人たちは、「NMRAはHOの連中の集まりだから、付き合う必要などない」と、切り捨てた。

 この件に関しては、栗生氏の記事の一番下の【追記3】にその顛末が出ている。

2018年08月23日

続々々 Shay geared locomotives

25-3 ギヤはむき出しだから、油が飛ぶ。油はタンクから滴下するようになっているが、この機種だけは軸端から入れるようになっている。軸受への注油と兼用だろう。


Shay 25-9 これは水面計である。キャブ内にもあるが、もう一つ付けたのだ。こんなところにまで水面計を増設したということは、水面の泡立ちによる見誤り等があったのだろう。(コメントで、勾配での変化が少ないところに付けたという説明を戴いている)

Shay25-11 給水温め器である。かなり大きい。配管は単純で、追跡するとすぐ分かった。



 ユニヴァーサル・ジョイントの件には参った。ひどい話だ。誰も理屈が分かる人が居ないのだろう。昔はどうだったのだろうか。どなたか、古い写真集をお持ちの方は確認願いたい。台湾には知らせてやるべきだろう。開き直られると大変だ。そういう人もいるらしいから、気を付けて手紙を書かねばならない。


2018年08月21日

続々 Shay geared locomotives

Shay 25-2Shay 25Shay 25-4 動態保存されているのを見かけた。この3気筒も、傘歯車は後ろにある。


 
 火を入れればすぐ動きそうである。これはオイル炊きに改造されている。石炭を焚くのにはある程度の技量が必要であり、カマ焚きを養成するのはもう賄いきれないのであろう。

Shay 25-6Shay 25-5 石炭庫の上の方に油槽を作ってある。体積が小さくなったので、その分、水をたくさん積める。給水温め器は巨大である。おそらく国鉄仕様のを無理に載せたのだろう。水面計は外にも増設してある。
 
Shay 25-7 前の台車へ行くドライヴシャフトがおかしい。現地では気が付かなかったが、この写真で判断する限り、間違っているように思う。位相がおかしいのである。平坦な直線路を走っていれば気が付かないだろうが、急曲線で重負荷が掛かるとアウトである。

2018年08月19日

続 Shay geared locomotives

Shay 23-2Shay 23-3Shay 23 この機関車は3気筒である。この機関車もギヤが逆方向についている。やはり何かの理由があるはずだ。
 ユニヴァーサル・ジョイントは外してある。静態展示なら付けておくべきである。

 ボイラーさえ更新すればいくらでも寿命は伸ばせるのだが、放置してある。要するにお金さえあれば直せるはずだ。どなたか懐の温かい方が手を伸ばして下さらないだろうか。

Shay 23-4Shay 23-5Shay 23-6 この機関車も、キャブは何回も作り替えらえて中華風になっている。エンジン部はオーバーホールして部品を換えれば使える筈だ。ユニヴァーサル・ジョイントがないのは残念だ。 

 空気圧縮機が一つしかないが、不都合なく使えたのだろうから十分であったのだろう。ギヤード・ロコはエンジンブレーキが良く効くそうなので、それで良かったのかもしれない。


2018年08月17日

Shay geared locomotives

Shay 29 阿里山のシェイの動力機構の歯車配置は個体によって異なる。小歯車が前方(煙室側)にあるのと、後ろ側にあるものがあるのだ。ここで見る限り、3気筒のものは後ろにあるようだ。
 エンジンの構成が同じなら、逆転レヴァの向きが逆になりそうな気がするが、良いのだろうか。小傘歯車の減り具合によっては、歯の裏を当てて均一な減り具合を期待しているのかもしれないとも考えたが、前後を逆に運転すればよいことで、それも考えにくい。筆者は小ギヤは必ず前側にあるものだと思っていた。


push-pull train 嘉義市内の北門駅に行った。嘉義駅から歩いても15分程度だ。下り列車がやって来たので写真を撮った。
 鉄道公園になっていて、そこにはシェイが3輌あった。1輌は動態である。あとの2輌は保存状態が良くないのだろう。静態展示されている。

Shay 13-2Shay 13Shay 13-3 この13号は小さい。2気筒の機関車だ。キャブは何回も作り替えられたのだろう。原型を全く留めていない。


2018年08月15日

続々 阿里山

ShaysShay 18-2Shay 18 奮起湖駅には機関区があり、そこには2輌のシェイが置いてあったが静態である。片方はドライヴシャフトも外してあった。

 ここには整備工場もあったが、もぬけの殻で、壁に近いところに、古い旋盤とボール盤があった。旋盤の展示は向きが逆で、スピンドルが右にあった。おそらくもともとそういう向きにあったのだろう。観客の観覧スペイスを作るために、平行を保って奥にずらしたので、意味不明の展示となってしまった。こういうところは考えるべきである。

Shay 29Shay 29Shay 29-6Shay 29-3 シェイは頂上の駅付近にもまだ置いてあるのだろうが、詳しくは分からない。阿里山のシェイはどれがオリジナルなのかが、特定できないらしい。フレームを新製したり、廃車と振り替えたりしたという。ボイラも自家製と取り替えているものがあるという話も聞いた。

Shay 29-5Shay 29-4 小さな機関車である。762 mmゲージだから、北勢線と同じである。今までに見たものは、 standard gauge と 3-ft gauge であるから、格段に小さい。

 彼らもこの機関車が観光資源になると気付いたので、最近は大事にしている。40年前は、買おうと思えば、目方で買えるという話さえ聞いた。北朝鮮の蒸気機関車も、おそらく目方で買えるだろう。代わりの機関車を持って行けば、喜んで交換するかも知れない。狙っている人も居る筈だ。しかし、石油のない国だから難しいのかも知れない。


2018年08月13日

続 阿里山

loop line 樟脳寮という駅を過ぎると、世界で最も巻き数の多いループに突入する。2巻き半と8の字というとんでもない線形で、車窓から樟脳寮の駅が、3回見える。



 この辺りから高原に入り、窓ガラスが熱くなくなる。植生も変化する。シェイの能力はこの種の急勾配、急曲線によく適合する。3気筒のものは特に調子が良かった。ドライヴシャフトが一回転する時のトルクが均一化されているから、スリップが起きにくい。

diesel engine 今回のディーゼル機関車はかなりの大出力らしく、この急勾配を 25 km/h程度でぐんぐん進む。機関車が後ろだから、煙を吸うこともない。途中のトンネルや築堤はかなり新しかった。数年前の大事故で、あちこちを更新したのだ。時々、旧線跡が見える。

奮起湖 奮起湖という駅が、現在の終点で、標高は1400 m程である。ここにはホテルがいくつかあるし、商店街は必要以上に賑やかだ。この地名の由来は、要するに山に囲まれた地形で、霧が湖のように見える事から来ている。前の二文字は元々は別の字で、当て字である。

 バスに乗ると阿里山頂上まで行けるが、時間的余裕が少ない。何かあると帰りの汽車に乗れない惧れがある。3時間ほど、そのあたりを散策した。
 弁当屋が何軒かある。弁當という字を使う。日本語が残っているのだ。

2018年08月11日

阿里山

高鐵 阿里山に行くには、まず嘉義(ジャーイーと発音している)という町に行かねばならない。新幹線で行くと、高鐵嘉義站(站は駅の意味)に着いて、バスに乗り換え、嘉義站に行く。このバスは、新幹線の切符を持っていれば、無料である。20分ほど広い道を走ると、嘉義の駅の西口に着く。新幹線駅はかなり郊外にあるわけだ。

嘉義駅 嘉義の駅は日本の地方都市の駅そのもので、日本統治下を偲ばせる。その阿里山鉄道切符売り場は外の壁に面していて、コンピュータで打ち出した予約表を見せると切符がもらえた。日本語の表示もあるが、音声では通じなかった。

 朝だけ3本の列車が、30分ごとに出る。うっかり早いのに乗ってしまい、席がないのでびっくりしたが、「30分後の列車である」と指摘され、慌てて下車した。車輛はリクライニング座席で、冷房付きである。冷房は個別のエンジン駆動のものである。

 出発後10分足らずで、北門駅に着く。ここはその昔、大きな製材所があったそうだ。既に台湾ヒノキの巨木は枯渇し、製材所は取り壊された。現在は車輌基地があり、シェイの復元工事もしている。ここからさらに30分くらいは、ほとんど勾配を感じない。

pin and link couplers その後60‰以上の急勾配が続く。機関車1輌で客車4両を押し上げる。すべての車輛はピン アンド リンクの連結器と安全鎖二本でつながっている。先頭の客車に監視台があって、いわゆるプッシュプルの運転方式だ。監視台は運転装置は持たない。蒸気機関車の時代は、機関車から先を見ながら運転したが、客車は2輌しか押さなかったので問題はなかった。
 古橋氏はシェイの運転室に乗って行くほどの ”顔” であった。また、機関士が名古屋に訪ねて来ることもあった。

push-pull freight train 置いてある貨物列車もプッシュプルである。安全を考えるとそれしか方法はないだろう。


2018年08月09日

台湾

   台湾は時差が少ないので来やすい。最近は、台北の地下鉄網が完備されたので、市内の混雑の中をタクシィで移動する必要がなくなったのは助かる。しかも電車賃が安い。地下鉄のことを「捷運」という。英語の ”rapid transit” の直訳である。新幹線は「高鐡」という。高速度鉄道の略だろう。外国人には割引切符を提供してくれている。事前にインターネットで押さえるのだが、行ってみると、無効であったりする。金額的には大したことではないが、腹立たしい。ソフトウェアに問題がある。鉄道側は、随分恐縮していた。
   阿里山の乗車券もインターネットで押さえられるが、これは外国人にはなかなか難しい。友人のアシストがなければとても無理であった。開通直後で、乗ってみると満席だ。立ち乗りもできるようで、かなり混む。
   
   同行者は実によく知っているので、安くて安全な宿を押さえてくれた。また、食べ物も廉価で美味しい店ばかり行ったので、日本にいるより安いくらいだった。

   筆者はシェイを1輌持っている。 祖父江氏が作った試作品である。途中まで作って放置してあったのを貰ったものだ。動力伝達装置を工夫して作り直そうと手を付けて、そのままになっていた。車輪も作り替えるつもりでいた。
   本物のシェイを見るたびに写真を撮り、細かい構造を調べてきた。今回の訪台は良いチャンスである。じっくり見てきた。今回見たシェイは、今まで見た中で最小のものである。2-1/2フィートのシェイは初めてだ。 

   阿里山には、45年ほど前に、シェイの大家の古橋正三氏に連れて来てもらう予定であったが、たまたま渡米することになって、そのままになってしまった。当時は生きたシェイがたくさん働いていた時代で、今思えば、万難を排しても来る価値があった。古橋氏には、8mm映画等をよく見せて貰ったが、そのうち行けるだろうと思っているうちに、チャンスが無くなった。


2018年08月07日

ロストワックス

 ケムトロンは鉄道模型に大量のロストワックスを提供した最初の会社である。社長のKemalyan氏はエッチングで車体を作り、手際よく製作できるキットを作った。
 ケマルヤン氏は、Max Grayの友人で一緒に日本によく来ていた。カツミでいろいろなものを作らせて、アメリカで売るためだ。LobaughのChallenger用のテンダーをはじめとして、様々なものを注文した。
 本業は印刷屋で、フォト・エッチングはお手のものである。彼の製品のブラス板は普通のアメリカのブラスとは異なり、さらに緑色がかっている。印刷原版を作る板は腐食しやすい配合になっていて、それを使っているからだ。

 日本では、鉄道模型社が世界で最初にエッチングを使った事になっているが、アメリカでも戦前からあったという話もある。大量か個人の楽しみかはわからない。

 ケムトロンはゴムで型を取ってロウを流し込む普通のロストワックス以外に、金型にプラスティックを注入して作る方法(investment casting)を開発し、精巧な台車等を作っていた。
 ライアン氏はそれをHOに応用したかったので、ケムトロンの主要な従業員を、ケマルヤン氏が日本に来ているうちに全て引き抜いた。別会社を作り、それをPFM製品に付けたのだ。かなり強引なことをやってのけたわけだ。このあたりのことは、またの機会に詳しく話そう。 

stratum 博物館のレイアウトは少しずつ進捗している。今、崖の部分の堆積岩を作っている。地層が傾いているのがミソである。こうすると実感的である。隙間があるが、それはあとで埋める。
 材料は何であろうか。

    実は先月末から台湾に来ている。阿里山鉄道が何年も不通だったのだが、ようやく開通したので乗りに来た。筆者の中国語は全く感心できないレヴェルなので、元台湾に来ていた技術者の方たちに、連れて来てもらっているのだ。
 その間の記事は、自動的に送り出されている。

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